著作権ハードボイルド。

漫画界の訴訟というと、1997年に起きた「キャンディ・キャンディ」(水木杏子原作、いがらしゆみこ画)のものが有名だが、絶版となった「MASTER キートン」(勝鹿北星原作、浦沢直樹画)のようにトラブルが発生しても訴訟までには至らないケースが大半なのだとか。産経新聞にも、漫画コラムニストである夏目房之介氏の「漫画界には契約書を交わす慣習が少なく、原作者と漫画家の仕事の分担もあいまい。それでも著作権料は折半が多く、漫画家が怒るのも無理はないかも。しかし、漫画家はおとなしい人が多く、裁判沙汰(さた)になるというのはよほどのことだ」というコメントが紹介されている。

 ゲームやアニメや映画の場合「製作者」という立場が著作権を集約的に管理する。「著作権管理」と言うのは、ありていに言えば「わけまえの分配」だ。「わけまえあらそい」が頻発すると「ファミリーの結束」が崩れる。それではシノギがままならん。「ファミリーの結束」を保つには「ファミリーのもめ事」が頻発するのはよろしくない。

 「ファミリーのもめ事」を防ぐには、まず「にらみの効く存在」でなければならない。キレイゴトでは済まない。舐められたらおしまいだ。

 次に「ファミリーのもめ事」をおさめるには「オマエの言う事もわかる、だがアイツにもこういう事情があるんだ」と言って聞かせる甲斐性が要る。これにはファミリーそれぞれの事情を、普段から把握している必要がある。でないと誰もついてこない。

 まとめると「強く無ければ生きてゆけない。優しく無ければ生きる資格がない」。クリエイタなんてダメな奴ばっかりだ。どいつもこいつも癖がキツ過ぎて「普通のくらし」ができるような連中じゃない。「ファミリーの外」でなにができる?「ふつうの人々」が、オマエらの面倒を見てくれるとでも言うのか?

 と、いう「ゴッドファーザー機能」が「製作者」つまり「著作権管理」の本質だと思う。

日本振付家協会によると、テレビや映画では振り付けの権利は扱いが明確でなく、音楽や脚本に比べて保護されていないのが実情という。
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080524/trl0805242325006-n1.htm

 こういうのは別ファミリーとの全面抗争でしかない。きゃ〜!ベッドの中に馬の首がぁ〜!みたいな。