メモ:大戦景気と冷戦景気
終わったのはバブルや高度成長ではなく「冷戦景気」だったのではないかと思った。いま。
大戦景気 WW1 (1914-1919) |
冷戦景気 冷戦 (1945- 1991) |
重化学工業や鉄鋼業を中心に、日本の工業生産量は5倍も伸びました。全輸出量も、軍需に加え、交戦国からの輸出の途絶という追い風に乗り3倍以上に増大、大戦中はずっと輸出超過でした。そして、開戦直前に11億円の債務国だった日本が、大戦後に27億円もの債権国になりました。この経済成長が、社会構造を一変させたのです。【出展】 教養としての歴史 日本の近代〈下〉 (新潮新書) P34 ※どうも列強不在の隙を突いて、製鉄・造船・海運を中心に、東亜市場を切り取り放題だったらしい。 |
50's:リストラ期(挙国一致体制の再構築) 60's:所得倍増計画 70's:列島改造論 残された人々への再配分(例)
80's:ジャパン・アズ・ナンバーワン
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列強諸国の市場復帰で終了(1919〜) 1919:輸入超過に転落 1920:株式市場暴落 1923:関東大震災
※不良債権が震災手形にまぎれて処理が遅延
1927:昭和金融恐慌1928:男子普通選挙 1929:世界恐慌 1930:昭和農業恐慌
※格差社会
1927【青空文庫】『 ああ玉杯に花うけて 』佐藤紅緑 創作物(というより今で云う少年ジャンプ)だが、当時の「格差社会」の描写がある。より端的には↓ 【図】山川 詳説日本史図録(第2版)P252 1920以降は物価が下がっても賃金は下がってない。つまり差益が生じている。むしろ上がってさえいる。確かにWW1中は「生活の窮乏」といえるが、戦後は 「大正デモ暮らし」 という方が適当だろう。 この時期は、戦後不況といいつつ円本/岩波文庫、雑誌、レコード、ラジオ、映画、宝塚、三越、文化住宅(阪急など鉄道沿線の分譲住宅)と、勤め人(官吏軍人教員社員)はえらく羽振りが良さげだが、これが「昭和大衆文化」の原資と思われる。この時期には新聞の総部数も大飛躍を遂げている。 一方では 大卒就職率は約30% 、 解雇された労働者 は汽車賃もなく徒歩で帰郷するが、実家では娘の身売りの相談をしていましたよ、という感じ。 |
冷戦景気の終了(1990頃〜) 1989:冷戦終結宣言(マルタ会談) 1990:東証暴落 冷戦終結後の競争者 ・米国のハイテクとベスト&ブライテストが民需に参入。 ・旧共産圏のコスパに優れた技術と労働者が市場に参入。 ・NIES, BRICS, G20の台頭。
これら諸地域のベスト&ブライテストが米国へチャンスを掴みにゆく(たぶん、そうなるシカケを米がこさえた)。
※格差社会
イロイロ。 |
30年代:改造 20年代を通じて左右問わず様々な勢力が「国家の改造」を論じる。その結論が種々の政策となって形になり始める。 これらが最終的に40年代の「挙国一致体制」に結実し、戦後再構築される(右上へ)。 |
まだ埋まってない。 |