マンガ界のテコ入れ案を出してみる。

 『たけくまメモ』さんの「マンガ界崩壊を止めるためにはシリーズ」を「甲案」に見立て、勝手に乙案(いわゆる、プランB)を整理してみました。と言っても素人です。カナブンよりもごめんなさい。

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マンガ・プロデューサー論の概要、および懸念事項。

概要

 雷句誠-小学館訴訟のコアは「マンガ家にしかるべき敬意を」だが、背景には「社員編集者」が以下二つのタスクで過負荷になっている状況があると思われる。

  1. マンガ家が「社員編集者」に期待する「共に作品を作り上げるナカマ」
  2. 会社が「社員編集者」に期待する「収益拡大タスク」

 高度成長期のモーレツ社員は、このダブルバインドを根性で乗り越えるが、低成長、まして出版不況下のゆとり世代にそれはムリ。モーレツ前提のフレームワークのほうにムリがある。自分の理解では、この二つのタスクを、なんらかのカタチで分散してしまえば、少しはマシにならんか?というのが「マンガ・エージェント論」または「マンガ・プロデューサー論」です。

 詳細な検討は『たけくまメモ』さんにて。

懸念事項

 僭越ながら、これについては自分でも若干書いてみたのだけど*1、『たけくまメモ』さんの具体的な考察を読むうちに「こりゃ一筋縄ではいかんわ」と思った。

 まずコスト的に、フリーのマンガ・プロデューサー/エージェントは、責任の曖昧な「終身雇用の社員編集者」に比べると、きっと高い。たとえば「会社の法務部の維持コスト」は個々の作品には乗っかってこないが、フリーのマンガ・プロデューサーには「オンデマンド」でサービス料が乗っかってくる。

 次に、こうした「高コスト体質」では「新人育成」や「冒険」が、現行システム以上に減る可能性がある(参考:ビジネスの達人は漫画プロデューサーの夢を見るか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt))。2008年現在、これら「新人育成機能」や「冒険的な作品を世に問う機能」は、ある程度コミケなど外部に頼る事が可能だが、それは既存アーキテクチャでも条件は同じだ。むしろ、雑誌の実売部数や、人気アンケートに容易にアクセスできる社員編集者のほうが有利とも考えられる。

 最後に、『たけくまメモ』さんは『俺が言う「マンガ・プロデューサー」とは、基本的にフリーランスで、しかも原作者・編集者・エージェントの役割すべてを兼ね備えた存在のことです。』『マンガ・プロデューサーは才能の発掘と育成・供給を手がける。』『「そんな仕事が一人でできるのか」と疑問を持つ人がいるかもしれませんが、できます。』と述べておられます。自分はスク水キングにその力がある事は疑いません。疑いませんがしかし、、、たたかいは数だよアニキぃ!(なんのたたかいだよw)

 善し悪しや好悪は棚に置きます。自分は「未来の雷句誠」とも出会えりゃそれで良いので、業界の内部構造はどうでも構いません。

乙案:蛇口改革

 甲案を「水源地改革」とすると、乙案は「蛇口改革」出酢。「水源地改革」が「水質改善」を主眼に置くのに対し、「蛇口改革」は水質を問わず、水道網にフォーカスしま酢。

イ)マンガ売るならまず客をマンガ漬けに。

 おおむねバブル崩壊以降、少年マンガ雑誌の部数は減っている。

 『たけくまメモ』さんによれば、単行本も、一部の大人気サクヒンを除いて売れなくなったとの事だが、それが自然と考える。

  • 1)マンガ誌との接触機会が減れば、消費者は「一部の大人気サクヒン以外」を知らない。
  • 2)接触機会が減れば「マンガ・リテラシー」も身に付かない。「中堅作品」は、単に「荒削りでツマラナイもの」にしか見えくなる。オモシロい/オモシロくないの評価は、常に相対的なものだ。

 これに対し、出版社は「一部の大人気サクヒン」の引き延ばしで応じた模様だが(一介の読者でも感じ取れない事はない)、その結果、上記1番2番が加速したと思われる。

ロ)マンガ家と編集者の不和は、この部数落ち込みが原因。

 雷句誠-小学館訴訟のコアは「マンガ家にしかるべき敬意を」だが、これは市場の冷え込みにともなう「取り分あらそいの一種」と見る事ができる。

  • 1)出版社の収益に占めるマンガ本の割合が縮めば、グッズ化やドラマ化やアニメ化など、二次利用収益の重みが増す
  • 2)その結果、「マンガとマンガ家」に向かう敬意が縮退する。一般論として、会社内における敬意は、物理的に入金額の多い順で決まる。「価値の源泉」などの「戯れ言」が入り込む余地は無い。
  • 3)この中で、マンガ家の役目が「作品全体の統括者」から「キャラデザイナー」または「設定さん」あるいは「絵コンテさん」的な「部分的な下請け」に変化した。全社的に

 もしもこの仮定が正しければ、雷句誠-小学館訴訟に代表されるマンガ家と編集者の不和は、「雑誌部数の落ち込み」に対する即物的な対処でも打開できる。「マンガ売るならまず客をマンガ漬けに」だ。水質は問わない。物量で蹂躙しろ!

ハ)接触機会の重層化

 「聖徳太子の板みてぇなアレ」は、単に「より簡便なスキマ時間の埋め草」に過ぎない。マンガも同じ出酢。一部のマニアや送り手が思ってるほど高尚なもんではないと考え、乙案の具体化は「スキマ時間の埋め草機能」のみを対象とする。ひらたく言うと、暇人あるところ十重二十重に罠を張る。この場合、各社横並びで「あの厚さ・あの判型・あの価格」で「内容で勝負」する事には意味が無い。

1)雑誌の薄型化:通勤/通学に30分電車に乗るとする。以前はこの30分をまるまる読書なりマンガなりに当てられたが、現在、このスキマ時間はメール着信などで細切れになる*2。この結果、現在のマンガ誌は通勤/通学時間内で読み切れないものになっている。可処分時間内で消費しきれないものにオカネを払うのはモッタイナイ。

2)雑誌の低価格化:上記と併行して一層の低価格化も必要と思われる。パケ定に月1万払っていれば、「スキマ時間の埋め草費」は圧縮せざるを得ない。この点において、フリーマガジンの可能性を除外すべきではない。既に国内に廃刊事例があるようだが*3、毎号200ページという点で、既存有料誌と同様、スキマ時間の細切れ化に対応していない。また資金面でVCベースだった事と合わせ、やや気になる事例がある。

TOKYO HEADLINE(創刊2002/首都圏/週刊)開始当初の顛末。

  1. 記事:
    1. 共同:加盟社(有料紙)からお金を貰う社団法人として提供できない。
    2. 時事:契約の段になって断られる。
    3. ロイターとブルームバーグのみでスタート。
  2. 生産・配布:
    1. 大手製紙会社:(用紙を)「売れない」
    2. 配布ラック:営団・JRが、構内売店への影響などを理由に、設置を断わる。
    3. 印刷会社:創刊数日前に「できなくなった」(スポーツ新聞系の印刷会社)。
  3. 広告:
    1. 大手広告代理店に軒並み取り次ぎを断られる(実績がないとちょっと)。
  4. ヤミちゃん:
    1. 大手紙幹部を名乗る電話がかかり「日本で日刊無料紙発行などもってのほかだ」
    2. 匿名電話「電車のホームでは気をつけろ」「女房子供を実家に帰したか」
  5. 結果:社長交代、週刊化、産経の記事配信を受ける事に成功。

メトロ(創刊1995@スエーデン/日刊)日本進出時の顛末。

  1. 2000年、進出可能性を探りに副社長が来日。国内新聞・通信社/地下鉄駅/大手広告代理店の協力が得られないと知り「そんな条件は外国なら簡単にクリアできるのに。日本は特殊な国だ」と述べ、進出を断念。
  2. 世界22カ国で既存紙の抵抗を受けつつ、2004までに12カ国で黒字化達成。
  3. 世界新聞協会の2000年大会では「侵略者」「バイキング」呼ばわりだったが、2001年大会では「若い人たちを新聞読者に引き込む理想のメディア」
  4. メトロ進出地には、日本並みの新聞購読率を誇る国もあるが、若い人たちの新聞離れは各国共通。「時間が無い」「高すぎる」。にもかかわらず、新聞社は「ページを増やし」「価格をあげた」というのがメトロ創刊の理由。その結果、編集方針は宗教には中立。社説なし、論説なし、解説一切なし。電車通勤の 20分で読み切る事を想定。

 善し悪しは別として「ビジネス・モデルのイノベーション」は既存勢力の抵抗を受ける。特に日本の場合「世間様」や「界隈」の団結力が強く「暗黙の連携」を見せる事が多い。もちろんコミック・ガンボがこうした妨害を受けたという情報を持っているわけではないが、クロネコヤマトにせよ、リクルートにせよ、角川書店にせよ、ライブドアにせよ、「出る杭」は常に打たれて来た歴史がある事は事実だ。この構造についてはいずれ書く事にして*4ここは話を進めたい。

3)雑誌の小型化:コンビニ専用の低価格単行本や、文庫本サイズであれば、現行の雑誌サイズより持ち歩きやすい。これはスキマ時間に読み切らなくても、また読んでもらえるチャンスが増えるという事だ。

4)マンガ喫茶の収益回路化:例えばレンタルCDには、新譜発売後、一定期間レンタルを禁止する期間があったように思う。またビデオレンタル店は市販品の10倍ほどするレンタル専用DVDを購入していたかと思う。ゲーム業界の例では、日本複合カフェ協会は、TVゲーム業務利用許諾システムを受け入れている。なお、大概のマンガ喫茶は検索システムを持っている。それがなくても購入履歴を持っている。これらのデータは、書店の売上データに比肩する価値があるハズだ。

5)マンガの電子化: 現状の電子マンガには様々な制約があるが、オハヨウからオヤスミまで消費者のおそばに控えるケータイを無視するのもモッタイナイ。少なくともワンセグケータイの普及で画面の横縦比だけは統一されつつある。それでも16:9(横縦比1.777...)にはまるマンガを産めるかと言うと地味に大変そうではある。もし国内でもiPhone(320x480ドット(160ppi)=横縦比1.5)が普及するのであれば、横縦比に加え、物理解像度の不統一という「ムダ試行錯誤発生要因*5」も緩和する。iPhoneは、将来的に、基本的な仕様変更抜きでの低価格化が見込める点でも重要だ。また「iPhone向け電子マンガ」は、ほぼ翻訳作業のみで世界市場に乗り出せる点でも重要だ。電子マンガを志向するのであれば、Apple製品向けにチューンしたラインナップを積み上げて行くのが、2008年現在に於ける「望み得る最善」と考える*6

ニ)理想状態。

 自分のアタマで思いつくのはこの程度ですが、「接触機会の重層化」における理想状態を示すとすれば、「ハリウッド映画のウィンドウ」が適当かと思います。

【ハリウッド映画に見るウィンドウ】

WINDOW1 映画興行 →0ヶ月
WINDOW2 機内上映 →1ヶ月後
WINDOW3 レンタル・セルDVD発売 →3〜6ヶ月後
WINDOW4 ペイ・パー・ビューTV →7ヶ月後
WINDOW5 ペイTV局 →1年後
WINDOW6 ネットワークTV局 →2年後
WINDOW7 ケーブルTV局 →ネットワークの1年後
WINDOW8 地方TV局 →ケーブルTV放映のあと
WINDOW9 インターネットによるオン・デマンド配信 →随時

(『ビッグ・ピクチャー』エドワード・J・エプスタイン著/塩谷紘訳/早川書房

 こんだけ回収ルートがありゃそらDVDも安いっての。定型的なスケジュールが立つと言う事は、その収益を見込んだ投資もできると言う事。映画の場合、それは「製作費○億円!」になだれ込むが、マンガの場合は「新人発掘」の原資になるのぢゃあるまいか。敷居の低いWINDOWだけを当て込んだ「マイナーリーグ」もあるだろう。

 現在の「マンガ」には、雑誌と単行本の二種類しかない。二次利用を否定はしない。否定はしないが、マンガ屋はマンガで喰うものだ。

*1:んで2に引用いただいてビビりまくったのだけど

*2:トモダチが多い=クチコミパワーの大きい個体ほど奪われる時間も大きい

*3:コメントでid:hiro4さんに教えていただきました。

*4:たぶん本宅で

*5:「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ教」はこの解消に乗り出せない。

*6:個人的にはマカのくせにあんま好きくないんだけども