「このマンガがすごい!」が長年続きすぎて半端に権威化しちゃってるのがキツイんだよ。
- 「このマンガがすごい!」は、
- 甲)みんながマンガを読んでると「ひと味違うリスト」として機能する。
- 乙)そうでもないと、違和感を感じる人が増える。
- 乙)に至る理由として考えられる事
- 日常的にマンガ読む人が減った。
- 「みんな」の「マンガ接触率」が下がった。
- 「世間」が「マンガの教養」を失った。
これらの結果、「このマンガがすごい!」に期待するナニカが変化した。みたいな。
「このマンガがすごい!」のコンセプトは、「天下万民がいっぱしのマンガ読みな世界」では、広く受け入れられるが、「そうでない世界」では文句が出やすい。マニアック過ぎる。とか。偏ってる。とか。
マニアのディープさは、世界がどうだろうが変わりゃせんし。ここで、「マンガが落ち目」と考えると面白みが減るので、「マニア以外、つまり世間が変化した」でひとつ。
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- Xを売るには、先ず世間をX漬けにしなければならない。
- 週刊誌や月刊誌の売り上げが落ちているなら、
- あらたな伝播回路を開拓しなければならない。
- より低負荷なもの。
- 時間負荷:この世に存在するありとあらゆるスキマ時間を満たすもの。
- 金銭負荷:実際の金額というより、「負担感の軽減」でも可。
- 重量負荷:物理的により軽いもの。理想は重量ゼロ。
- 場所負荷:「入手の手間」のより軽いもの。理想はユビキタス。
- より低負荷なもの。
電車乗るとみんな聖徳太子の板みてぇの掲げてるけども、別に駅で拾って駅で捨てられる、アメコミ並みに薄いヤツでも良いと思う。フリーペーパーでも缶珈琲なみでも。
みたいな。単行本が売れりゃそれで良いなら、雑誌名のブランド化に拘る理由はない。ロハで配るなら「全部見せる」必要もない。「予告編」でいい。