総務省が2009年度の地上デジタル放送受信相談事業などの実施母体を決定した件について。

  1. デジタル受信相談・対策事業 → デジタル放送推進協会(Dpa)(08度より継続)
  2. 地上デジタルテレビ放送コールセンター事業 → NHK営業サービス

この2事業請け負いの公募期間は2009年2月20日から3月13日。当然ながら、この期間で事業計画書を作るのは難しいだろう。1)の受注競争に手を挙げるにせよ、2)に応募するにせよ、15営業日は十分とは言えない*1

総務省のPDF『平成21年3月31日 地上デジタル放送に係る受信者支援を行う団体の公募の結果』によると、

各事業についてそれぞれ1件の応募がありました。

なお上記PDFでは続けて

これについて、外部有識者からなる評価会(構成員は別紙のとおり)において提案内容の評価を行い、その評価を踏まえ(略)

と選考の透明性を訴えているが、こういう場合重要なのは「外部有識者」の人選。つまり実質的な任命権限はダレが持っているか?だ。

ダイヤモンド・オンラインの『官僚支配を終わらせるために、 政策立案で幅利かす「御用学者」を一掃せよ(上久保誠人さん)によると、

私は、政策立案過程の「官僚支配」を排するには、政治家が議題設定の権限を押さえることが重要と考える。そのためには、現在、官僚組織の独断で行われ、政治が全く介入していない審議会委員の任命権を政治家が握ることである。具体的には、官僚の設定する「議題」に「お墨付き」を与える役割を果たしている「御用学者」を審議会から一掃することだ。

こうなると「民主的なチェック」は官僚さんの良心のみという事になる。もちろん。餅は餅屋だ。最も専門性の高い人材のリストが総務省の担当部局に集まる事は疑わない。疑わないのではありますが、、、

そのリストの出元は大抵の場合、「業界団体」なのぢゃないだろうか。仕事(と補助金)を貰った団体は、天下りを通じていち早く情報を得ていたのぢゃないだろうか。

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2009/01/19付朝日紙面に、英国のケースが載っていた。

地デジ移行、地域が支援〜進むテレビ 欧州の現場から1

 「11月6日の地上デジタル放送完全移行に向け準備してください」イギリス北部、スコットランドの田舎町セルカーク中心部の道路沿いに、テレビの地デジ完全移行を知らせるのぼりがはためく。公共放送BBCなどの放送局、メーカーや小売業界団体の代表でつくる非営利会社「デジタルUK」(本部ロンドン)が立てた。
 72歳のジョイス・ライトさんは独り暮らし。足が悪く、テレビはラジオとともに貴重な情報源だ。3年半前、60ポンド(約1万2千円)で簡易デジタルチューナーを購入した。
「アナログとデジタル。正直よく分からないが、技術は日進月歩」と、上手にリモコンを操る。アナログ放送は今も地デジと並行して放送されているが、11月には放送が終わる。アナログ停波は国内で2カ所目だ。
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 人口11万人のセルカークでは、地域の老人団体「老人の声」(2千人)の会員が研修を受け、ライトさんのような高齢者、近所の顔見知りにボランティア相談を実施している。デジタルUK地域マネジャーのジョン・アスキューさんは、11月のアナログ停波に向け毎週土曜日返上で、イベント開催やリーフレット配布などの啓発に多忙を極める。
 日本でも技術革新についていきにくい障害者らから3年後の地デジ完全移行に不安の声が出ているが、「広報だけでは不十分。顔と顔を合わせる事が大切で、各団体とのネットワークは必要だ」とスムーズな移行に地域のきずなの大切さを強調する。
 11月の停波は2段階で実施される。まず6日に視聴者の少ない教育番組などのチャンネルBBC・Twoを止めて注意喚起。2週間後の20日BBC・oneやitv1など残りのチャンネルを止める。スムーズなデジタル移行を狙ったイギリスの基本原則だ。
 ライトさんが買ったような簡易チューナーの値段は、今では3分の1程度まで下がったものの、低所得者らには負担が大きい。こうした社会的弱者対策として、視聴者からの受信許可料で成り立つBBCには「ヘルプスキーム」の実施も義務づけられた。
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 75歳以上の高齢者や身体障害者らは40ポンド(約8千円)で関連機器の支給や設置、使い方の説明などのサービスが受けられ、年金受給者、失業者らは無料。人口6097万人のイギリスでスキームを受けられるのはられるのは約1割、700万人程度とみられる。
 これまでの試行でヘルプスキーム以外の支援も必要なことがわかり、今年2月にはデジタルUKの出資で「デジタ一ル・アウトリーチ」が作られた。75歳未満の高齢者や障害者らに、ボランティア団体のメンバーなどが支援する。
 イギリスは世界で最も早い98年から地上デジタル放送が始まった。停波は12年に五輪が開かれるロンドンなど3地域で終了する。ロンドンなどの大都市は移民も多く、セルカークのような田舎に比べ地域のつながりが弱い。スキ一ム広報担当のジャッキー・パードンさんは、都市部でのスムーズな停波について「特別な努力をしなければならないだろう」と気をもんでいる。

 テレビは世界的に最も見られているメディアの一つ。地デジ移行、放送アーカイブ、良質な番組づくりといった放送の現状をイギリスやフランスに見た。
(大室一也)

デジタル放送推進協会(Dpa)や、NHK営業サービスが、こうしたきめ細かな「対話」に乗り出す動機を持っているかというと、、、どうだろう。

まずなによりも。日本の地デジに必要なのは、以下の三つだけだ。

  1. アンテナ工事
  2. チューナー
  3. それだけ*2

草ナギ君はこれだけ連呼してくれれば、もう少しは移行がスムーズに進むと思うのだが、それすらやらない(できない?)のは、CM代がもったいないと思う。あれって税金(補助金)使ってないか?

なお、「デジタルUK」という組織については、『オンリーワン見聞録』さんの

に仔細な解説がある。

◇◇視聴者の為の組織「デジタルUK」◇◇

英国政府やメーカーは、新しいテレビとデジボックスをセットで対策を立てていかねばならない。 そういう問題を含め、市民の意見を聞き、質問に答え、当局、メーカー、放送局に打ち返し、調整する、そういう新しい組織として登場したのが「デジタルUK」という組織である。

「デジタルUK」は、デジタル化か実行段階に入ったとして、2005年に設立された。 しかし、政府の部局ではなく、独立の機関、非営利組織で、英国が当面するデジタル関連の諸問題について、視聴者の視点で、広報、公聴、連絡、調整などに当たる

第1に、英国全土で、地上波をアナログからデジタルに転換する上での受信上の問題、受像機関連の問題を処理するため、政府と協議しながら、先行地区を指定し、順次、全国に進めていく。 第2は、一般民衆との関係構築と問題の調整である。 デジタル・スイッチオーバーについて、何か起こるのか、視聴者は何をしなければならないか、いつまでにしなければならないか、きめ細かく、また手落ちなく理解してもらうことが求められている。 第3に、テレビ受像機、チューナーの、小売店、デジタル・プラットフォーム(デジタル波・マルチプレックスの送信)などとの連絡・調整などである。

「デジタルUK」は、BBC、ITV、チャンネル4(公営の文化チャンネル)、チャンネル5(民営の文化チャンネル)、S4C(ウェールズ地域放送)、テレテキスト(文字放送)など放送各社、これらの放送の送信関連のNGW、SDNの2社(デジタル・プラットフォーム)、メーカー、小売店、リース・レンタル業者、などの出資、役員派遣で設立されたものである。

しかし、政府、放送局、メーカーはじめ、放送関係者からは独立した機関である事が、英国らしい特徴になっている。 フォード・エナルスCE(社長)は、マーケティングや娯楽産業などのビジネス出身者、バリー・コックス会長はジャーナリスト出身、ITV、チャンネル4、ITN(ITVのニュース部門)など放送各社でも活躍した経歴を持っている。

ホワイトヘブンでは、「デジタルUK」が中心となり、地元の自治体や関係団体と協力して、市公会堂でフォーラムを開き、デジタル・スイッチオーバーについて、独立した立場、放送関係者の利害からは超越した立場で、市民に公正な情報を提供し、質問に答えていた。 10月に聞かれた第1回集会では、100人をこえる市民が説明を聞いたという。 市民、つまり視聴者も、こういう態勢の下で、前向きになれるのだろう

そういえば民放連の会長さんが「日本でも先行停波実験をやらざるを得ない」とホントはやりたくねー感ギンギンな事を言っておられたが、あれはどうなったのだったか。

*1:なお、公募は2009/02/20に開始され、同24日に『応募要件等』に訂正が入っている

*2:「ハイビジョン」を楽しみたければTVの買い替えが必要になるが、一応チューナーだけでも「映る」。16:9番組の比率が高くなってくるとやや残念感が漂うのだけど、日本の地デジはそうした番組でも放送信号は4:3だったりする。ぶっちゃけ「デジタルTV」と「ハイビジョン」を不可分一体の如く捉えているのは日本だけだ。英国をはじめ諸外国の地デジは非ハイビジョンのため。国民全体の移行コストが安く済んでいる。

情報量の増加は「正論原理主義」生みがち説

活字中毒R。さんの2009年03月11日(水)付け、 村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」より。

 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。

上記の太字部分でぽんと膝を打った。なるほど学生運動かぁ〜。はてブとか、100字でウダる時間増やすと、加速度的に「脊髄反射っぽいナニカ」に埋もれてく感覚があるので。そういう文脈なら『ネット空間にはびこる正論原理主義』という認識には合点がゆく。

以下、この指摘が貴重だと思う理由を走り書いておきたい。

情報量の増加は「正論原理主義」生みがち説

大抵の場合、新種のメディアは「単位時間あたりの情報伝送量が多い」。

仮に、これが社会に定着すると;

  • 社会ぜんたいの情報流通量は爆発的に増加するが、
  • しかし、個々の人間の脳はそれを処理しきれない。

とする。

この場合、人間は以下三つの類型に別れる。ものとする。

  1. 一部は「あたらしいメディア」を使いこなす「情報強者」となる。
  2. 一部は「情報メタボ」になる。自覚があったりなかったり。
  3. 一部はうんざりして単純な二元論に頼り、そこで心の平安を得る。

この3番が『XXにはびこる正論原理主義』の正体だ説。

うっかり地デジとかB-CASとか著作権とかに興味持つと「ぬおお、なにがどうしてこないになっちょるんぢゃああああ!」と懊悩しまくらちよこなもんで。なんかこう、、、、もうちょっとスパッといかんのかスパっと!とゆー需要があっしの中にあるのです。

も・ち・ろ・ん、ネットが無ければそんなもん、一切興味持たなかった事請け合い

因果関係はわからんが相関関係はありそうな希ガス年表

年号 テレビ 週刊誌 60年代の学生運動
1953 テレビ放送開始(NHKおよびNTV)    
1956   週刊誌創刊ブーム   
1957 『一億総白痴化』*1     
1959 皇太子ご成婚  週刊少年マガジン 週刊少年サンデー創刊朝日ジャーナル創刊  
1960     60年安保闘争
1964 東京オリンピック*2  週刊平凡パンチ創刊  
1969   週刊少年ジャンプ 週刊化 東大安田講堂事件
1970     よど号ハイジャック事件
1972     あさま山荘事件

60年代の学生運動の過激化・先鋭化は、それに先立つ50年代のテレビ/週刊誌の普及期、つまり「社会ぜんたいの情報流通量が爆発的に増加した時期」と、ほぼ踵を接している。

世の中というのは得てして矛盾が多い。60年代を通じて日本社会は「テレビや週刊誌が旧メディアより高いクロックで吐き出す、それまでに見た事もないほどの情報量」に洗われ、「なんでこうなってるんだ!」「ナニが悪いんだ!」「どの情報が"正しい"んだ!」。という「スッキリしない感」を溜め込んだ人が、増えていったのではないだろうか。

それにうんざりして心の平安を求めた一部が単純な二元論に頼ったのではないだろうか。その中で『純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。』のではないだろうか。

彼らが『勝ち残った』のは、周囲のひとびとが「心の平安を求めた」からだ。『自分の言葉で誠実に語ろうとする人々』が排除されていったのは、「心の平安」=スッキリ感の邪魔をするからだ....なんちて。

もちろん頭書のとおりこれはあくまでも仮説(よりゲンミツには「かん」)であり、因果関係があるなんて言うつもりもないのだけれど、、、気に留めておく価値はあるような希ガス

急激な情報流通量の増加は、個人にも社会にも、なんらかの負荷をもたらすと考えるのが自然だ。

ここで単純な世代論に走ると「テレビや週刊誌」が「フツーになった時期に10歳だった子たち」がアブナイ。という事になる。そのままスライドして、ネットの事始めが1997くらいとすると、まぁ、だいたい2017くらいにハイジャックとか起きる。なんのだよw。いやその前に、そろそろ60年安保っぽい事が起きる。なんのだよw*3

という「ゲーム脳」は脇に置くとしても。

どれほど伝播技術が進歩しようが人間のキャパシティは一緒だ。少なくとも、ホモ・サピエンスに進化して以降、ハードウェアのアップデートは無い。

このホモジーニアス・ハードウェア・ネットワーク*4で「社会全体が扱う情報量の増大」に巧く対処するためには、「専門化」を進めて一個人の脳にかかる負荷を局限し、必要に応じて動的に呼び出せるようにしてゆくのが手っ取り早い*5

もちろんこれには、ある程度の社会構造の変化が付随する。せざるを得ない。ある程度の「人々のふるまい・考え方・はたらきかた*6・生きかた*7・死にかた、などの変化」が付随する。せざるを得ない。

その変化の過程で、必ず軋轢が生まれる。生まれざるを得ない。

さぁて。オレラは先輩がたよりウマくやれるだろうか?

あとで調べるかもしんない事。

明治期の新聞の普及と、日比谷焼打事件(1905)の相関関係。

  • ロシアに勝ったのだから賠償金はもっとたくさんが当然だ。という「正論原理主義」は、どこではびこっていたのか?
  • 全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのはナゼカ?
  • 当時の日本には戦争を継続するだけの余力が残っていなかった事情は、海外メディアに目を通しても判らない事だったのか?
  • 国民が戦費による増税で苦しんできたのなら、継戦反対論はなかったのか?
  • 当時の朝日新聞が「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書いたのはナゼカ?

Wikipediaの-朝日ジャーナルの項には

全共闘運動が盛んだった頃は「右手にジャーナル、左手にパンチ(あるいはマガジン)」といわれ当時の学生層にもよく購読されていた。

とあるが、では彼ら「高クロックで情報を吸収する層」は、「右手にジャーナルを持たず、左手にマガジンを持たない層」をどう見ていたか?「情弱(情報弱者。やや軽侮の意がこもる)」に相当するコトバは存在したか?

*1:大宅壮一という社会評論家の人が雑誌で「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」と述べた事から流行語となったもの。何時の時代でも、新種のメディアは旧メディアの住人から叩かれるものらしい。

*2:日本初のカラー放送。ちなみにNHK技研はこの直後に「未来のテレビ」研究に着手しているが、これが後に「ハイビジョン」を生み、普及に失敗し、「デジタルテレビ」と混ぜちゃイケナイ形で混ぜ込まれる。

*3:「地デジ問題」はB-CAS,コピワン,ダビ10,著作利権,電波利権([デンパク→キー局→チホウ局]という「CM代の水利権」、及びNHKの「受信料徴収利権」),モノツク利権(著作権を隠れ蓑にしたパラダイス鎖国絶対防衛圏),アマクダ利権([業界団体←→主務官庁]のユニットで動く官僚内閣制),,,といろいろ詰まっては居るけど、、、、詰まり過ぎでわけわかんねぇw。

*4:ひらたく言うと「人間の社会」

*5:恐らく、この「専門化」には二つの方向性がある。「個体の専門化」と「バルクの専門化」だ。前者は個人の能力をトコトン専門分野に深化させてゆく方向。後者は複数ハードをバルクにまとめて「集団として専門化」する方向。

*6:終身雇用など

*7:団地、ニューファミリー、中高卒で上京した「金のたまご」に「大学のキャンパス」に相当する「出会いの場」を提供した「創価学会」や「労働組合」、など