情報量の増加は「正論原理主義」生みがち説
活字中毒R。さんの2009年03月11日(水)付け、 村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」より。
一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
上記の太字部分でぽんと膝を打った。なるほど学生運動かぁ〜。はてブとか、100字でウダる時間増やすと、加速度的に「脊髄反射っぽいナニカ」に埋もれてく感覚があるので。そういう文脈なら『ネット空間にはびこる正論原理主義』という認識には合点がゆく。
以下、この指摘が貴重だと思う理由を走り書いておきたい。
情報量の増加は「正論原理主義」生みがち説
大抵の場合、新種のメディアは「単位時間あたりの情報伝送量が多い」。
仮に、これが社会に定着すると;
- 社会ぜんたいの情報流通量は爆発的に増加するが、
- しかし、個々の人間の脳はそれを処理しきれない。
とする。
この場合、人間は以下三つの類型に別れる。ものとする。
- 一部は「あたらしいメディア」を使いこなす「情報強者」となる。
- 一部は「情報メタボ」になる。自覚があったりなかったり。
- 一部はうんざりして単純な二元論に頼り、そこで心の平安を得る。
この3番が『XXにはびこる正論原理主義』の正体だ説。
うっかり地デジとかB-CASとか著作権とかに興味持つと「ぬおお、なにがどうしてこないになっちょるんぢゃああああ!」と懊悩しまくらちよこなもんで。なんかこう、、、、もうちょっとスパッといかんのかスパっと!とゆー需要があっしの中にあるのです。
も・ち・ろ・ん、ネットが無ければそんなもん、一切興味持たなかった事請け合い
因果関係はわからんが相関関係はありそうな希ガス年表
年号 | テレビ | 週刊誌 | 60年代の学生運動 |
1953 | テレビ放送開始(NHKおよびNTV) | ||
1956 | 週刊誌創刊ブーム | ||
1957 | 『一億総白痴化』*1 | ||
1959 | 皇太子ご成婚 | 週刊少年マガジン 、週刊少年サンデー創刊、朝日ジャーナル創刊 | |
1960 | 60年安保闘争 | ||
1964 | 東京オリンピック*2 | 週刊平凡パンチ創刊 | |
1969 | 週刊少年ジャンプ 週刊化 | 東大安田講堂事件 | |
1970 | よど号ハイジャック事件 | ||
1972 | あさま山荘事件 |
60年代の学生運動の過激化・先鋭化は、それに先立つ50年代のテレビ/週刊誌の普及期、つまり「社会ぜんたいの情報流通量が爆発的に増加した時期」と、ほぼ踵を接している。
世の中というのは得てして矛盾が多い。60年代を通じて日本社会は「テレビや週刊誌が旧メディアより高いクロックで吐き出す、それまでに見た事もないほどの情報量」に洗われ、「なんでこうなってるんだ!」「ナニが悪いんだ!」「どの情報が"正しい"んだ!」。という「スッキリしない感」を溜め込んだ人が、増えていったのではないだろうか。
それにうんざりして心の平安を求めた一部が単純な二元論に頼ったのではないだろうか。その中で『純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。』のではないだろうか。
彼らが『勝ち残った』のは、周囲のひとびとが「心の平安を求めた」からだ。『自分の言葉で誠実に語ろうとする人々』が排除されていったのは、「心の平安」=スッキリ感の邪魔をするからだ....なんちて。
もちろん頭書のとおりこれはあくまでも仮説(よりゲンミツには「かん」)であり、因果関係があるなんて言うつもりもないのだけれど、、、気に留めておく価値はあるような希ガス。
急激な情報流通量の増加は、個人にも社会にも、なんらかの負荷をもたらすと考えるのが自然だ。
ここで単純な世代論に走ると「テレビや週刊誌」が「フツーになった時期に10歳だった子たち」がアブナイ。という事になる。そのままスライドして、ネットの事始めが1997くらいとすると、まぁ、だいたい2017くらいにハイジャックとか起きる。なんのだよw。いやその前に、そろそろ60年安保っぽい事が起きる。なんのだよw*3。
という「ゲーム脳」は脇に置くとしても。
どれほど伝播技術が進歩しようが人間のキャパシティは一緒だ。少なくとも、ホモ・サピエンスに進化して以降、ハードウェアのアップデートは無い。
このホモジーニアス・ハードウェア・ネットワーク*4で「社会全体が扱う情報量の増大」に巧く対処するためには、「専門化」を進めて一個人の脳にかかる負荷を局限し、必要に応じて動的に呼び出せるようにしてゆくのが手っ取り早い*5。
もちろんこれには、ある程度の社会構造の変化が付随する。せざるを得ない。ある程度の「人々のふるまい・考え方・はたらきかた*6・生きかた*7・死にかた、などの変化」が付随する。せざるを得ない。
その変化の過程で、必ず軋轢が生まれる。生まれざるを得ない。
さぁて。オレラは先輩がたよりウマくやれるだろうか?
あとで調べるかもしんない事。
明治期の新聞の普及と、日比谷焼打事件(1905)の相関関係。
- ロシアに勝ったのだから賠償金はもっとたくさんが当然だ。という「正論原理主義」は、どこではびこっていたのか?
- 全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのはナゼカ?
- 当時の日本には戦争を継続するだけの余力が残っていなかった事情は、海外メディアに目を通しても判らない事だったのか?
- 国民が戦費による増税で苦しんできたのなら、継戦反対論はなかったのか?
- 当時の朝日新聞が「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書いたのはナゼカ?
全共闘運動が盛んだった頃は「右手にジャーナル、左手にパンチ(あるいはマガジン)」といわれ当時の学生層にもよく購読されていた。
とあるが、では彼ら「高クロックで情報を吸収する層」は、「右手にジャーナルを持たず、左手にマガジンを持たない層」をどう見ていたか?「情弱(情報弱者。やや軽侮の意がこもる)」に相当するコトバは存在したか?
*1:大宅壮一という社会評論家の人が雑誌で「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」と述べた事から流行語となったもの。何時の時代でも、新種のメディアは旧メディアの住人から叩かれるものらしい。
*2:日本初のカラー放送。ちなみにNHK技研はこの直後に「未来のテレビ」研究に着手しているが、これが後に「ハイビジョン」を生み、普及に失敗し、「デジタルテレビ」と混ぜちゃイケナイ形で混ぜ込まれる。
*3:「地デジ問題」はB-CAS,コピワン,ダビ10,著作利権,電波利権([デンパク→キー局→チホウ局]という「CM代の水利権」、及びNHKの「受信料徴収利権」),モノツク利権(著作権を隠れ蓑にしたパラダイス鎖国絶対防衛圏),アマクダ利権([業界団体←→主務官庁]のユニットで動く官僚内閣制),,,といろいろ詰まっては居るけど、、、、詰まり過ぎでわけわかんねぇw。
*4:ひらたく言うと「人間の社会」
*5:恐らく、この「専門化」には二つの方向性がある。「個体の専門化」と「バルクの専門化」だ。前者は個人の能力をトコトン専門分野に深化させてゆく方向。後者は複数ハードをバルクにまとめて「集団として専門化」する方向。
*6:終身雇用など
*7:団地、ニューファミリー、中高卒で上京した「金のたまご」に「大学のキャンパス」に相当する「出会いの場」を提供した「創価学会」や「労働組合」、など