JAPAiNと中国のネット状況

 そういえば英国病の意趣返しみてぇな記事がどっかあったなとググったら、こいつが最も読みやすかった。そうそう「JAPAiN」だ。腹立たしいなぁもう。
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1204029075/-100
 これでいいやとハテブに入れたら、変なとこ飛ばされた。ん〜2chはめんどい。情報集積はすごいのだが、DAT落ちとかHTML化待ちとか専用ブラウザとか、あんま把握する気がしない。

 取りあえず此方の記事をブクマして、コメ欄にURIを突っ込んだ。
20080222 なぜ日本は失敗し続けるのか - 池田信夫 blog

 でもめんどい。これでさがせるのか後からオレは。

 20080425 impress:中国の「愛国行動」をネットから分析するによると、中国ではあるニュースサイトが掲載した最新ニュースを、他社のニュースサイトが許可なく全文コピーしてよいのだそうだ。

 どうも自然発生的なルールらしく、2004年のアジア杯サッカー(反日観客で沸いたアレ)の現地リポートにこういう記述がある。

「あ、宇都宮先生でしたか! 先生のご高名は、かねてより存じ上げております!」
 ……は?
「実は私、かねてよりスポーツナビで先生の記事を拝見しておりまして、先日の『日々是亜洲杯』の文章も『日本の記者から見た中国代表』ということで、誠に勝手ながら私どもの新聞に転載させていただいたんです」
 ……は??

 おもむろに彼女が取り出したスポーツ紙の第14面には、確かに私の名前が、「日本資深足球評論員」という身に覚えのない肩書きとともに晒されている。そして記事の内容はといえば、当連載の7月17日に書いたものが、そのまま中国語になっているではないか。一体、何人の中国人がこれを読んだのだろう——私のあずかり知らぬうちに。

「勝手に転載してしまって、本当にすみませんでした」と謝る応さん。もちろん、いくらインターネットとはいえ、無許可の転載は明らかにご法度である。まあ、それを強引にやってしまうところが、いかにも中国らしいとも言えるのだが……。
 とはいえ私個人としては、このようなつたない文章が中国メディアに取り上げられたことについて、気恥ずかしさを覚えながらも、ちょっとばかり誇らしい気分になってしまった。何しろ私の文章が新聞紙面を飾ったのは、日本を含めてこれが初めてなのだから。

 というわけで、最後に応さんへの私信。今後、転載するときには私に一声掛けてください。それと、もう私のことを「先生」などと呼ばないでくださいね。恥ずかしいから。

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日々是亜洲杯2004 初戦前夜の個人的な出来事(7月19日@重慶、曇り時々雨)

 強引といえばたしかに強引だが、敬意は存在する。日本が進んでいるというよりは、コピーライトに関わる技術と文化が同時に発生するとこうなるという見本(あるいは手本)のようなものではないか?などとへ理屈をこねくり回していたのは、写真の女性記者がちょっと可愛かったからという面は稲田朋美いや否めない。
 むしろ強引と感じるオレの感性がネットと不適合なのではないかとか悩んでみたりみなかったり。

 //激しく余談になるが、「宇都宮先生」はこの連載の過程で、中国サッカー界の記者さんたちの優秀さや勉強熱心ぶりに感心したり、海外ケータイの使いやすさに驚いたりしつつ、徐々にかの国の選手のラフプレイや観客のブーイング、そして大会運営の拙さにストレスを溜めてゆき、ついには『これまでは何とか抑えてきたが、今こそ言わせていただく。中国の皆さん。あなた方には本当に、アジアカップのホスト国としての自覚があるのですか、と。』『それにしてもなぜ、今大会では、このような事態が続くのだろうか。準決勝への期待感など忘れて、私は今、ひたすらに悲しい。』と書くに至っている。当時、自分はこの過程に納得し、深く印象に残っている(URI)。なんつうの、冷静なおにいさんがためにためた怒りをついに!というのは、任侠モノの王道ですよね高倉健。あ、しまったネタバレか。
 ただし、自分自身はそういう経験をもたないので、過程に納得した事を心にとどめておくだけだ。まして他人の付けたタグやラベルでモノを考えるほど暇では無い。そりゃまぁ映画見た後はキブンでちゃうけどさ。//

 中国のネット状況に話を戻す。近年になって「コピーしたメディアは、ニュースのオリジナルのメディア名を記載し、転載であることを明記する」ことが法律化されたとの事。これはこうした実情の追認、というよりは、「自然発生的なマナーの明文化」とみるべきだろう。あたらしい遊び場を作ったら、遊び方はガキどもに任せるのが一番良い。マナーとは、その場所を大切に思うキモチから生まれるものだ。分かる気も無いくせに仕切りたがるオトナが、敬意を受ける事は無い。むしろその手のオトナをコドモダマシと呼ぶのだろう。また話が逸れた。

このルールを仮に「事実上のパブリックドメイン」と呼ぶ。短縮形:"じぱど"。

  1. 価値のある情報は広く伝播し、コピーされ、広く影響を与え、末永く残る。
  2. 価値の無い情報はさして伝播せず、コピーもされず、さして影響もなく、費消されて消える。
  3. 第一報者には名を残す名誉が与えられる(そなたはでんせつとして、えいえんにかたりつがれてゆくであろう)。

 ※関連

"じぱど"世界では:

  • 『客寄せできそうな事件や、今回の反仏カルフールデモを抑えようとする意向のある文章などは、瞬時に中国全土の多数のメディアに掲載される。』
  • 『時に数百ものメディアがまったく同じ文章で同じ記事を掲載する。』
  • 『この状況に対し百度は「X条相同新聞>>(X個のサイトに同じニュース)」という緑色のリンクを用意。』

 日本のWebスフィアなどお話にならない。テレビもラジオも新聞も超えている。

  • 『ニュース記事には必ず感想コメント欄がある』
  • 『たとえば、反仏カルフールデモを諌めようとする記事があれば、「筆者の言うことに賛成」や「諌めるなんて、それでも愛国者か!」といった賛否両論のコメントが感想コメントの掲示板に書き込まれる』

 日本のニュースサイトなどお話にならない。断然上だ。全てのヒトが評論家になり得る、全てのヒトが正面切って評論され得る。「かたがきのたて」も「ぺーぱーふぁーすとのたて」も「きゃぷちゃきんしのたて」も無い。多くのヒトが、あるときは言葉を呑み込み、あるときは決然と言葉を吐く事になるだろう。匿名は卑怯?莫迦いっちゃいかん。ゴテゴテの城塞に引きこもってるのはどっちだ(中国は匿名主流ぢゃないと思うけど、それはあまり関係ないだろう。ネット名でもパブリック・イメージはつく。権威や評判として機能すれば、所属や肩書きと変わらん)。

  • 『しかし、中国のインターネット利用者の意見を調べてまとめることは、意外と難しくない。』
  • 『コメントの数では、網易、以下大差で、新浪、QQ、捜狐』
  • 従って手順は、
    1. 百度でニュース検索」
    2. 「X条相同新聞」から「網易、新浪、QQへ」
    3. コメントを読む

 2chもハテブもお話にならない。なお「衆愚の暴走」について元記事では『今回の反仏カルフールに関する報道でも、時間が経過し「落ち着いた愛国行動を」という、落ち着かせたい人々には加勢となる記事が登場してくると、「記事を支持する。度の過ぎた行動は良くない」と、度の過ぎた愛国行動を諫めようとするコメントが増えてきた。こうしたことから、ある時点での掲示板の様子のみで、その事件の中国人の民意を判断するのは危険であるように思う。』とまとめている。

 詳細は、『山谷剛史さんの中国の「愛国行動」をネットから分析する』でご確認いただきたいw。

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これが情報革命ってもんだと思った。脳汁出た。リテラシーだの、先進的ユーザーだの、小難しいのはシュミぢゃない。WikiだのそれぷらだのWeb標準だの、小難しいのはシュミぢゃない。ケータイよりPCの方が高尚だの、倫理だ礼儀だ「あたりまえ」だの、小賢しいのはしゃらくさい。できない理由は読み飽きた。そこを突破するクンフーが足りないわ。

「ネットをもっとみんなのものに」が欠けている。

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まとめ

  1. 知的財産権特許権著作権)という概念がもともと薄い土。
    • 共産主義が強かった頃は、企業間でエンジンの設計図なども融通し合っていた。
    • 庶民レベルでは「知的財産権」などの小難しい言葉より、「実感」を先に考えるだろう。
    • 莫迦には見えない服」は、小賢しいオトナにしか見えない。
    • これは「工業先進国のメンタリティ」からは「遅れている」と見える。実際、必ずしも好条件では無い。
  2. そこに知的財産権特許権著作権)とは、本質的に相性の悪い発明品が入って来た。
    • もともとネットは「核で総司令部が全壊しても、保有情報のコピーがあれば戦えます!」というもの。根っこが分散志向。
    • 「工業先進国」固有のボトルネックが強い場所よりも、
  3. その本性に自然な花が咲く。

つまり、*高度情報化社会/情報革命社会のモデルケース* が発生しつつある可能性がある。
嫌中はマズい。メインカメラをやられる。

逆に言やぁ、日本のネットは軒下にヒマワリを植えたようなものではないか?
それで不健康に見えたりしちまう部分があるんでねぇか?

くやしいのうくやしいのう