江戸時代の身分差別は新田開拓の止まった中期に固定化し幕末まで続いた。

 成果主義の失敗経緯については激しく同意。結論ダウト。

 日本は失われた10年を脱しましたが、企業が成長を目指すのであれば、昔の年功制に戻るべきです。日本企業が戦後、知恵を絞って築き上げてきたシステムで、企業の成長を支えてきた実績もありますから。自社の将来を背負って立つ人材を長期にわたって育成しようと思ったら、年功制以外にあり得ないでしょう。成長を志向する企業のトップには「成果主義は失敗だった」と宣言して年功制を復活させてほしいですね。

 先輩達が戦後、知恵を絞って洗練させてきた年功制は、確実な成長戦略が在るときに最も良く機能する。スイスより良い時計を作れば良い。独逸より良いカメラを作れば良い。アメリカより良いクルマを作れば良い。年功制はその戦略*1の下で、労働生産性を極大化する施策の一つに過ぎない。生きているうちに暮らしがよくなると言う確信ほど、働き手の力を引き出すものはない。ひらたく言えば『いつかニューヨークのこの道を、オレらのクルマで埋めてやる!』だ*2

 また同時に、人口増が前提になっている。馬車馬のように働く20代30代が、動きの鈍い50代60代の高給と退職金を支えるシカケだ。こういうと不当なようだが、経験や人脈などのコーチ代と考えると、社会全体としてはけっこう帳尻があわぬでもない*3

 日本の年功制は良く出来ている。とても良く出来ている。だがしかし、もはや高度成長期ではない*4

 犬でも分かるほどシンプルな成長戦略はもう描けない。これからの日本経済は、イノベーショントライアンドエラー(博打)が成長の原動力となるであろう*5。また同時に、「死ぬほど退屈」とのたまう閑職に2000万円近い年収池田信夫 blog)を払い続けるのは不経済だ*6。人口減は高年齢層の相対的増加につながり、これは「コーチのインフレ」をもたらす。経験や人脈は「買い手市場」となり適正価格が下がる*7

 この状況下で年功制に戻すのは、ちょっと硫化水素炊いてみるようなものだ。

 決まりきった事しかやってない会社は、戻したほうがみな心安らかに働けるだろうが、そこに成長は無い。ここから「セグウェイ」や「ダイソン」や「iPod」や「google」や「YouTube」が生まれる確率は極めて低い。「果てしなき生産性向上2.0」、「ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ教」は中韓台に押し込まれて国内市場にひきこもり、じり貧になっていく。それでも閑職に高給を払うなら「選択と集中」で末端雇用を切り、縮小均衡を図らねば持たない*8

 もちろん成果主義は失敗だ。だが輸入品を安直に接ぎ木してもダメだと分かったのは、貴重な経験ではないか。オレはもっと自分が生まれついた時代を楽しみたい。こんな面白い時代に生まれついてしあわせではないか。年功制以外にあり得ないなんてことは、あり得ない*9

////

 最後の結論の一節だけがダウトっつうか、そこまではめちゃめちゃ面白かったです。鼻の穴拡がるかと思った。この先生が「日本型成果主義」言いだしたらめちゃめちゃ読む。

*1:犬でも分かるほどシンプルなのが良い戦略

*2:すいませんプロジェクトXとか大好きなんです

*3:できればコーチ選びたいけどな!

*4:すいません昭和史も大好きなんです

*5:てな事は昭和40年代(一般的な意味での高度成長期の終末期)には言ってる人があったようだ。

*6:それを支えるのが年収1/10の層に対しても「あえてテレビを買ったという点で契約の自由には抵触しないと考えている」と支払いを求めるみなさまの受信料ってところが趣き深い。

*7:「移民」で補うにしても100年やそこらで年功制に組み込めるものではないし(優秀な人材ほどキャリアアップ志向が高いし)、組み込む過程で日本社会も変質する。ノンワーキング・リッチに割り増し退職金を与えて放出し「現役復帰」して頂こうというアイデアは、良いモノだ。組織的にベンチャーへの投資/経営指導/インキュベイションを行う「日本型エンジェル」をやる会社とかできねぇか。

*8:それで浮いたカネを投資に回さず溜め込んでいれば「ハゲタカファンド」に狙われるのが自然だ。彼らの究極の目的は、余ったお金をより有効に活用して社会を豊かにする事だから。

*9:グリード様大好きですいません