「細緻過ぎる著作権法」と「圧倒的過ぎる地上波無料放送」は混ぜちゃイケナイ洗剤。
1)細緻過ぎる著作権法:映画の著作物、公衆送信可能化権、著作隣接権、著作者人格権は伝統的に放棄できないと解釈されている。など。たぶんこれらは日本人好みのカイゼン。
2)圧倒的過ぎる地上波無料放送:日本で制作される映像の、時間にして90%以上がテレビ向け←CM資金が制作原資。つまり「繰り返し、なんども見てもらえるのが良い番組」ではなく、「シチョーリツが全てです」「テレビは放送で見るものです」。
パターン | 1)細緻過ぎる著作権法 | 2)圧倒的過ぎる地上波無料放送 |
A) | リストラクチャ | そのまま |
B) | そのまま | 相対化 |
C) | リストラクチャ | 相対化 |
ベストはたぶんパターンC)。
パターンA):1)を作り直すべきとの主張は多い。だが、それだけでは分かりやすいワルモノタタキに終わる可能性有り。「著作権などなくて良い」など、真意はともかく誤読の余地のデカイ言葉が横行すると逆効果でもある。
パターンB):もしかしたら2)の相対化のみ、のほうが実効性が高い。具体的には、伝播回路の重層化(無料の衛星放送、IPTVなどの普及)、回収回路の重層化(種々の有料放送の普及)などが考えられる。
ただし「圧倒的過ぎる地上波無料放送」は、豊富なリソース(デンパキチの資金力、法的戦闘力、政治力)を元に、そのままメディアコングロマリット化を志向している。例えば認定放送持株会社の規制緩和や、総務省のBS参入規制、さらに俳優の著作権制限案などは、重層化がほぼ不可避になりつつある伝播回路・回収回路の資本的独占に道を拓く。他にライブドアの解体や、各種の有識者委員会で発言しない、など。デンパキチ*1の行動は首尾一貫しているように見える。
*1:年間2兆円のTVCM費を分け合うナカマ。デンパク・キーキョク・チホウキョク