家族の誰からも嫌われないイソターネット

 ん〜、やっぱロリだのようじょだのの文字列が跋扈してる様は、アレはアレでナニダロだてゆうか、近年ちと猖獗を極め杉でねぇかてゆうか、そうゆうキモチが無くはない、、、twitter知らんけど。

 そりゃまぁ自分もいささか嗜まないワケではないのだけど、受け付けない範囲もけっこう多い。法規制とはぜんぜん関係ない個人的倫理観の範囲で具体的に言うと、みうらちゃんxジャンボはネーだろてゆうか、んじゃしまうーなら良いのかつうと、ダメです。理由後述。

 と、ゆーよーなハナシは楽しい。但しそれは許容範囲が重なる相手に限定したハナシであり、ゴミの日にご近所さんにぶっちゃけたり、見合いの席で先方のご両親にぶっちゃけたり、イントラネット掲示板でぶっちゃけたり、するのはどうかと。あくまで一般論としてではあるが、あんまり楽しくない事になる。

 犯罪に繋がるとか繋がらねーとか統計がどーだとか児ポ法がどーした以前に、プロジェクタに映してクライアントにプレゼンするこっちゃないでしょうよ『しまうーはおれの嫁』とか。ぶっちゃけるほうは楽しいかもしれないが、ぶっちゃけられるほうも同じとは限らない(いっぺんやってみてぇ、とか思ってナイヨ?。ないってば)。

 善し悪しは脇におく。TPOてのは、無きゃ無いで不必要な波風が立つ。

Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)(注:Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法(服装等も入る)」を意味する和製英語。この概念の発案者は「VAN」ブランドの創始者石津謙介である。

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 頭書のような「不快感」の源泉は、イソターネット上のTPOてのがまだ固まってない、または存在するにしても見えにくい、あるいは「ある場」におけるTPO自体が定まり難い、事であるように思う。なお、これが定まらない場合、あるいは不快感表明者の単純排除に動く場合、その場は単に「獣欲の露出場」となり、ネット自体が「歌舞伎町」として「子供が行く所ぢゃありません!」なイメージを払拭し難い。歌舞伎町は好きだがそればかりでもナニだ。

 例えば日常、ダレでも「ナマのコトバ」と「よそ行きのコトバ」を使い分けていると思うが、Web上ではその「使い分け」が人によりバラバラなんぢゃないだろうかいまんとこ。

個体ポインタ ナマのコトバ よそ行きのコトバ
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池田信夫さん 池田信夫ブログ 著書?
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  • ※この表の「個体ポインタ」は架空のものであり、実在のいかなる人物、団体、組織とも関係ありません。本当。本当*1

 もちろん、どの選択が正しい。というものでは、無い。

 そもそも、Web上でどれほど念入りにTime(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)を選択したとしても、それが読む側の理解と一致するとは限らない。どころか、まず確実にズレている。

 例えば、1)ナニカを求めて検索経由でたどり着いたアクセスと、2)有益な情報を期待して登録したRSS経由のアクセスと、3)ホッテントリやニュースサイト経由でヒマツブシに通りすがるアクセスでは、TもPもOも解釈が著しく異なる。ついでに言えば読解力もコミットメントも許容範囲も異なる。

 1)/2)前提のTPOで書いてると、3)のキモチが理解できない。逆に3)を前提にTPOを調定すると、1)/2)にそぐわない。ゲンミツには1)と2)のTPOも異なる。1)向けの言い回しに振ると、2)には迂遠。

 これ別に善し悪しとか上とか下でなくて。同一個人でも1)/2)/3)を結構な高クロックで切り替えてる筈なんで。Web上に於ける書く側と読む側の『TPOモードの不一致』は、新聞よりテレビより頻発していると思われる。「TPOズレ」に起因する不快感やイラツキの発生抑止は、ちょいと難しいだろう。てゆうかなんかウマい手はないものか、、、

 ちなみに考え方や感性の「個人差」は、その後に来る。と思ってます。

 いやこの手のイサカイというか「感情の波紋」を「〜してるヤツってなんなの?」風に「人に起因する言い回し」で考えると面白みが減るってゆうか、「ホッテントリ経由の通りすがりうぜー」ぢゃモッタイナイてゆうか、、、趣味的にややこしいほうが好きなだけなんだけども。

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 いずれはURIやサービスなど、なんらかの「場」に応じて「ここはこういう場なのだから、ある種の話題は望ましく無い」的なふいんきが出来上がってゆくのだろうが、そういうのは狙って作れるもんでは、ない。「その場に集まるニンゲン」の「その場を大切に思うキモチ」から自然に発生してくるものだ。究極的には「粋と無粋」みたいなもんかもしれない。

 どうなるかなんてわかりゃしない遠い先のコトはともかく。「幼女萌えの言論の自由」に「安心してガキどもに使わせられるネット」と天秤に掛けるほどの値打ちがあんのかって言うと、たぶん無い。そして、そのキモチに配慮しない者に配慮するヤツはいないだろう。てな風に思うんですよあたしゃ。

 ひらたく言うと「あ、ここは子を持つおとうさんやおかあさんが見るかもしれないな」てな配慮は、時々はしたほうがいいんでないかと。ドコになにを吐くにしてもイマントコは。許容範囲は人それぞれであるにしても。

 「変えられるのは自分自身だけ」てのはまさしく真理だと思うけど、それ他人に向けて吐くと「オレの言う通りにしろ」の言い換えにとられるリスクがあるし。そもそも「ガキができた自分」は「子孫防衛本能が最強に強まった状態」に変化すんだろうし。それたぶん理屈や統計や科学的に証明された事実や気の効いた言い回しでどーにかなるもんぢゃないと思う*2

 甚だまとまりがないけども。形式的で形骸化した「マナー」や十把一絡げの「法規制」に賛成しようてんでなくて。「悪場所」には「悪場所」なりの洗練がねぇと、ただの獣欲の露出場にしかならんわけで。それもいいが、そればかりでも面白みに欠ける。

 いずれにせよ「天下万民がn:nコミュニケーション・ツールを手にした状態」てのに、人類はまだ慣れていない。「社会全体にとってのイソターネット」はまだまだ粗削りな状態だ。

 ひらたく言うと、ゲーマーの語る「アンチ・ゲーム脳」に耳を傾ける者は居ない。「家族の誰からも嫌われないイソターネット」を胸に、工夫し続けるほうが、きっと楽しい。

 それは、受け入れ難い趣味にクダ巻いたり、開き直ってカウンターかますよりは、少しだけ教育にもよいんではないだろうか。

*1:ほんとう

*2:自分は「ゲーム脳」の主要支持層が、たぶんドラクエやマリオにハマった世代だってとこを重要に思っていて、少なくとも「マス」としては、子孫防衛本能に「コトバ」は通じないと思ってます。んで、それは、そーいうもんだという前提で考えた方がマシな結果を産むんでないかとも、思ってます。