池田信夫氏の『中山信弘氏のフェアユース論』の感想

あたかも権利者団体が「ダビング10」を人質に「身代金」を要求しているかのような下品な記事が全国紙の「経済面」に掲載されるという状況が、この国の指導層・富裕層(セレブ)のクールでない価値観・人生観を象徴しているようで、慨嘆を禁じ得ません。[インターネットが]産業革命に匹敵するほどの変化を引き起こしているなどという主張はかなり眉唾ものだと感じます。突然出現したサイバーワールドを目の当たりにして、それを何か特別なものと信じている一部の人々が既存の社会システムに対して特別扱いを要求しているに過ぎないと思います。

 ザ・デッタイト*1とゆう感じ。、ミスター・アンシャンレジームとゆう感じ。「デジタル王党派」なんちて。

 対する「ウェブノイド」は三つに別れる。

  1. 「デジロンド」:ウェブに適した知財を生産する。やや現実的。
  2. 「デジャコバン」:ウェブに適した知財を生産する。やや理想的。
  3. 「デジ無産」:ウェブに適した知財を生産しない。見るだけ。

 現在の「ネット世論」は主に3番が形成している(=武力)。この四者が入り乱れる混乱の果てに「デジナポレオン」が全てを制圧するのぢゃ。グランダルメわぁ〜最強最強最強!なんちて。

フェアユースを導入する方向は変わらない。ただ、これは拙著にも書いた英米法のコモンローの考え方なので、明治以来130年以上つづいてきた大陸法型の「国のかたち」を変えることは、共産主義革命よりむずかしいだろう。これについて中山氏は「本質的には非常に大きな問題だが、著作権法の改正だけならそれほど大変ではない」とのことだった。

 この後の『事実上の報酬請求権化』を含め、本質的には「ひらがな」作ってもよかんべって漢字。中山先生自身は、既存の各種著作権は弄らず、今後のあたらしい分野ではフェアユースで頑張って判例を積み上げていこーぜという感じだったと理解している。これは「これ以上の増築はやめましょう」であり「更地にして立て直し」では無い。

 日本最大の著作利権である「テレビ局」は、そんな面倒な事するより自前でネト配信したほうが実入りがよかろ。よーするに出演者などに「再放送のぶんのギャラ」や「ネット配信するぶんのギャラ」を払いたくないんではないか(著作権ハードボイルド。 - agehaメモ)。
 てゆうか「制作者や出演者」とそんな契約をした事がない。むしろそんな契約が「日本の社会」になじまないんではないか。

 日本で作られる映像の、時間にして90%以上がテレビ放送向けと言う。テレビの黎明期ならいざ知らず、ここまで大きくなった現在は、放送設備を持つ者が、映像著作権(製作・著作)を兼ねる事を禁じてはどうか。
 放送局やネット配信に「放映権」を売る純粋製作社が育ってゆけば、制作者や出演者のとりぶんは今よりも合理的になるのではないか。そのほうが著作権を弄るより手っ取り早いんではないか。

 などと思った。

*1:デジタル・ラッダイト