日本は映像創作で喰って行くには厳しい国かもしんない(弐)

 『テレビで見たくもない番組に対応するにはどうしたらいいか。テレビをゲームに使えばよい』--ラルフ・ベア@1966

 その後、米国では衛星やCATVの普及が進み、90%以上の世帯で数100ch見れるのが普通になった。それでもゲームは成功した*1

 既にゲームの普及が先行している日本で、今から多ch化が進むかと言うと、米国並の数字は期待すべきでない可能性がある。EU圏の55%くらいが妥当な線かもしれない。んが、08現在、国内の有料多ch放送の世帯普及率は約20%に過ぎないので、それでも到達すれば立派なものだろう。

障害は三つある。

  1. 圧倒的な地上波無料放送、すなわちキー局とNHKが国内で制作される映像の大半の著作権保有している。「放送と製作*2の分離」が存在しない場合、「繰り返し、何度も売れるのが良いサクヒン」になり難い*3
  2. 「録画文化の存在」。スカパーもコピワンとはいえその裡にある。
  3. さらに言えば、コピワンもダビ10も突破されて一年あまりが経過しているが、実効性のある対策が固まっていない。「地上波無料放送が圧倒的」という状況自体が、「公共の理念」にもとづく様々な方面からの介入を招き、コピー対策に速度が出ない*4

 日本の映画代やDVD代はアメリカより遥かに高い。しかし、白黒含めた無料の視聴回路の普及度合いを考えると「国民総映像視聴コスト」はなかなか低い国かもしれない*5

 B-CASコピワンもダビ10もなくなってしまへ。という感情はひとまず置く。

 もしもサクヒンビジネスの基本線が「塀で囲って一回いくらの木戸銭商売」であるならば、有料放送では自由なプレイスシフトを認めるべきでは無く、まして光学ディスク書き出しなど認めるべきでない。時限消滅するタイムシフトのみであるべきだろう*6。無料放送は『うなぎやの煙』であるべきだろう。

 いずれにせよ「製造業以外の外貨稼ぎ柱」を二〜三本立てねば、保つまい。

 キー局資本が「放送事業を分離」して「純粋著作利権になる」って途もあるのか。出演者や制作者等に「未来の再放送権やDVDの売上も見込んだギャラ」がきちんと渡るようにするには、それが一番手っ取り早いような気がして来た。

*1:インタラクティブ」という要素の出現を考慮すると、映画はもはや「総合芸術」とは呼べない。というのはもちろん「映画の教養」より「ゲームの教養」の方が遥かにぶ厚いクサレゲーマーの戯言ですが

*2:著作権保持

*3:資金と使命感が潤沢なNHKは優れた番組を多数制作し、保有しているが、その事自体が民業圧迫にもなっている

*4:どころか船が山に登りかねない

*5:面白さなどの意義があるかどうかはまた別のハナシ。番組制作者やアニメータに妥当な取り分が渡っているか否かという話

*6:「時限消滅するタイムシフト」の範囲内であれば、プレイスシフトも「有料データ販売」の宣伝になる。映像で喰うならまず客を映像漬けにしなければならない