「おお『聖闘士星矢』素晴らしい!!。是非我が国の子供達にも見せたい!」って事はねぇよなぁ。
日本のテレビ放送は1953にはじまった。当然ながら国産番組は質量ともに不足気味で、アメリカのホームドラマの放映権を買って来て流す、というのが、割と多かったらしい。これは同時代の日本人の「米国イメージ」を形成する上で絶大な効果があった筈だ。
- 仮に、おおむね50年代を通じて人気番組だったであろうアイラブルーシー、ララミー牧場、奥様は魔女(?)などは、国産番組とは「なにもかも段違い」だった。とする。
- 仮に、当時の学齢児童(仮に6〜15歳とする)が受けた「洗脳」はひとかたならぬものがあった。とする*1。
これに近い事が90年代のブラジルで起きたとすると、なぜ主役は「アメリカのテレビ番組」ぢゃなかったのか?
- 米番組の放映権料が高騰していた。
- ブラジルの国産番組が質量ともに不十分だった*2。
- 日番組の放映権料がオトクだった。
まさかブラジルの買い付け担当者が「おお『聖闘士星矢』素晴らしい!!。是非我が国の子供達にも見せたい!」と思ったわけではあるまい。
「なんとアニメーションがこのお値段!!ディズニーぢゃないけど!ディズニーぢゃないけど!!」
てなとこぢゃまいか。
「アニメ」といったらディズニーとか、ほんとにタマにしか見れないガキどもに、鉄腕アトム(1963)以来の蟲毒壷の中で競い合って来たサクヒン群を、蝗のやうにけしかけりゃ、そら一気に「クル」だろう。
放送波に乗ったのは、個々のサクヒンが優れていたからぢゃない。日本のアニメが放送権市場の中で、コストパフォーマンスに優れていたに過ぎない。
ような気がする。