テレビなんざ映りゃいい。という層は「ハイビジョン」なんか欲しく無い。
テレビなんざ映りゃいい。SD*1で充分だ。という層まで「高精細、高臨場感、感動度250倍」に押し込もうとしたのが第一。今次不況は、この問題の浮上速度を加速しているに過ぎない。
30−40型など、CRTでは高価格になり過ぎるサイズは、電気代もCRTを超す。それ以下のサイズでは、縦1080の解像度*2があまり活きない。また、視角*3も小さくなるため、迫力もあまり出ない*4。
「地上波デジタル・ハイビジョン」は、混ぜちゃイケナイ洗剤を敢えて混ぜたような愚かさがある。「地上波のデジタル化だけ」で良かったと思うのだが*5、幸いにして、日本のデジタル放送規格*6はそこに後戻りしやすい。
放送大学は、SDサイズで同時に3番組を放送している事がある。
仮に『国民総情報聴取可能量(グロス・ナショナル・アクセシブル・インフォメーション)』という評価軸を立てた場合、「高精細、高臨場感、感動度250倍」と、「ch数3倍」では、どちらがマシか? どちらがより「情報化社会」っぽいか? どちらがより「消費者の好みの多様化」に対処しやすいか?
誰が悪い、ボクのセイジャナイ、では打開し難い話のようにも見える。誰もがちょっとずつ加害者であり、同時に被害者であるようにも見える。