文化庁 文化審議会 著作権分科会の基本問題小委員会 第1回会合についての雑感

参加メンバーの半数以上は「権利者」だが、自分はコレを良い事だと思っている。放送などの「伝播屋」、ハードメーカーなどの「大道具」、さらに消費者系やジャーナリストなどの「観客」を廃して、「劇団員」だけで「今後のあるべき姿」を整理し、理論武装を練るのは非常に良い事だと思っている。あまつさえ「公開で」というのは、建設的だと思う。

基本的に委員のみなさんは目先の問題でアタマが一杯で『「この小委員会の目的を明確にしてもらいたい」という厳しい指摘も』あったようだが、文化庁側の『委員の意見を踏まえながら考えていきたいというのが正直なところ。今年中に特定の課題について結論を出せというのは現時点ではない』という姿勢は、正しい。

いかな「文化の庁」とはいえ、年度単位で成果を求められるお役人にしてこのセリフ、ハンパな度胸では無いと思った*1。いまどんな結論を出そうが必ず拙速になる。さらに、光の速さで劣化する。こうした中で必要なのは「今後の著作権はどうあるべきか?」という、ディープで役立たずな原則論の深堀りだ。

メンツを見ると「うーん」て思う面もなくはないし、各委員にその方向性を浸透さすのは気合いの要る仕事だし*2、そもそも文化庁事務局にそんな目論みがあんのかないのかも知らねーんだけど。是非その方向の議論を期待したい。ヤクタイもないグダグダな、学級会みてぇに青くせー奴を。ここにいっちゃん真剣勝負かけられるのは「文化庁著作権課」だろう。

おいら一介の消費者だから利害は逆になるだども。

それだのに。なぜ「それを良しとするか」の説明はちょっと長くて、とっちらかる。雑駁に言うと「著作権紛争」を収束させるには、目先の正しい/正しく無いや、マーケットが成長する/しないの議論ではーーもちろんそれらが重要なのだけど、ーーそれだけでは無理だろうという考えがあるから。なんつうか、喰いたりねぇし。

最終決戦は「言論の自由表現の自由」VS「文化の発展」の痛み分けで決着するのが望ましいと思っているから。その為には、著作権サイドに、ガッチガチの原則論を練って貰わなきゃバトれねぇから。既に長ぇっての。2段にする必要あんのか。

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1

現在の省庁編成では、著作権絡みでドコがどんな結論をだそうと、かならず紛糾する。どの省庁も「今後の著作権のありかた」につき、肚に一物もっている。さらに、2009秋を目処に稼働する「消費者庁」も、遠からず著作権紛争に参戦するだろう。

  1. 文科省およびその管掌業界
  2. 経産省およびその管掌業界
  3. 総務省およびその管掌業界
  4. 消費者庁およびその管掌団体

日本の統治機構は、こうしたルートで「一定範囲の民意」を集約し*3、「派閥順送り誰でも一緒大臣」に「良きに計らえ」と言わせるシカケ*4になっている。つまり、基本的な省庁編成じたいが、産業分野別の利益代表になっている*5

仮に、これらを全て「利権集団」と看做して命名すると;

  1. 著作利権:著作物で排他的に銭儲けをする権益集団。
  2. モノツク利権:録音録画機器で銭儲けをする権益集団。
  3. 伝播利権:排他的な電波免許で銭儲けをする権益集団(広告無料放送の圧倒的地位、NHKフリーなTVが市場に無い中での受信料)。
  4. コピー利権:私的録音利権/私的録画利権という、消費者の既得権益集団(まだ形が無いけども)。

だから「著作権法はウチの管轄だから」と文化庁が専門家集めて会議すっと、どうしても著作利権者に寄ったものになる。
ひらたく言うと、モノツク利権のフトコロ具合なんざ知ったこっちゃねーよ。みたいなノリ。私的録音で無劣化コピーバンバン刷られちゃたまんねーよ。みたいなノリ*6

いうまでもなく昨今の著作権は、異様に幅広い範囲に影響する。正直、著作権は「著作利権 V.S. コピー利権」のタイマン勝負が一番スッキリすると思うのだけど、日本には「録音録画機器をドル箱にする、世界に冠たる家電メーカー」が佃煮にするほどあり、「地上波無料放送が圧倒的」という、二つの特殊事情を抱えている。他の利権集団も黙っちゃいない。したがって各省庁は自前で「著作権を考える専門家会議」を作り、それぞれ思うような結論を出す。

これは「派閥順送り誰でも一緒大臣の閣議調整」ではハンドリングできない。てゆうか、できてない。この構造では埒があかんと、議員立法を促す動きもありおりはべり。著作権の情勢は複雑怪奇ッ!!

2

手許では「著作権」を二つに分けている。

  • 1)原著作者の名誉:いわゆる「リスペクト」に近いもの。→金にならない。
  • 2)著作利権:著作物で排他的に銭儲けをする権利。→金になる。

法律の世界では1)を著作者人格権、2)を著作財産権と言うらしいのだけど、いわゆる「権利者」の中には、原著作者の名誉も著作利権もごっちゃになってる人があるように見える。

人間には、文化だ芸術だ言われると平伏する性質があるので、そこを応用した営業トークかなと思っていたのだけど、、、どうもマジで区別してないケースもあるみたい。まぁ、そんな区分をちまちま考えてたらほんとうの仕事(創作)が進まないてのはあるとは思うけども。

映画やアニメやゲームで「原著作者」って一体ダレなのさ?って問題はすっ飛ばして歴史的な方向へアタマを飛ばすと、1)も2)も本来は「原著作者」のものだ*7。印刷技術の発明をキッカケに、「原著作者」は2)を専門の業者に委託するようになった。これが「コピーライト」の始まりだ。だからホントは「著作権」てコトバは1)に寄り過ぎで、「複製権」にでもしたほうがリリカルに酔わずに済むと思う。酔わずになんの人生かって話もあるけどソレばかりでもナニだし、多少のわびさびが欲しけりゃ「版木権」でもええやんか。このアイテム無くすとステータスが「金も無ければ死にたくもナシ状態」に!

ともかく、金になる/ならないで切る性分なので問題は銭や。銭の華や。

  • イ)印刷に端を発する複製技術の台頭で、原著作者が得られる名誉とお金は莫大なものになった。
  • ロ)カセットテープやVHSなどのイノベーションは「消費者による複製」を可能にしたが、アナログコピーは、そう手軽ではなく劣化コピーなので、大きな問題にはならなかった。少なくともねずみ算式の増殖は無い。
    • ロの1)それでも北米では訴訟が起き、敗訴した著作利権は「価値あるコンテンツ」を「録画される伝播回路」に卸さなくなった。見料で喰ってんだから、そんな所に流す理由がない。
    • ロの2)一方日本では「録画文化」が花開いた。これは「家電メーカー」がかつて持っていた「大勢の雇用を増やす」という大義と、彼らを広告主とする「映像著作利権を兼ねる圧倒的な広告無料放送」が化合した「生活習慣病」に過ぎない。

そして「国内の映像の創り手」は概ね貧しい。番組制作子会社とか、アニメーターとか...どうも著作利権に甘過ぎる気もすんだけど「持続可能なサクヒンビジネスの発展」とか気になるし、バーディ03も見てぇし。

VHS訴訟は国内判例ではないので、在日日本人が縛られる理由はないっちゃ無い。デジタルコピー時代を奇貨として「昔ながらのコピーネバー(VHSどころかカセットテープ以前)」に戻そうとする動きが出てくるのは、ヤダっちゃヤダけど生理現象っちゃ生理現象だと思う。「複製物を売って喰う」のがコピーライト商売の基幹原則だから。

究極的には「価値あるコンテンツ」を「録画できる伝播回路」や「鍵のかかってない光学ディスク(CD)」や「突破されたDRM(DVD/B-CAS/BD)」に流すのを止めて「客にファイルを渡すな。アクセス権を売れ」に移行すりゃいいだにと思う。まぁ、今日のメシ代を考えると、そうもいかんのだろうけど、そればかりでは目が死んでゆく。

理想を語れよ。著作利権。

3

日本の統治機構が前述のような「業界団体→主務官庁」のユニット構造になっており、それらの間の調整(つか、ナワバリ争い?)がウマくいかないのなら。

いっその事、各省庁は利権代表団として先鋭化していったらどうかと思う。著作利権、モノツク利権、伝播利権、コピー利権の四つ。夫々の分野で理論武装深める方向で。ちょっと伝播利権(キー局とNHK)には、きっちり「電波免許」と「製作・著作」を分けてもらわないと混乱するけど。

んで、これを背負った4省庁が、公開の場で円卓会議でもやりゃあいいんでないのと*8

民主主義的にはめがっさウルトラCな気がするけども。英米でなくフランスとかドイツとか、もうちょっと細い国の中には、それに近い政治構造の国がありそうな気がするけども。

4

現在「客にファイルを渡すな。アクセス権を売れ」に最も近い位置に付けているのはAppleだと思う。彼らが売っているのは「ファイル」ではなく「ユビキタス・アクセス権」に非常に近いものだ。FairPlayも個々のデバイスも、その部品に過ぎない。代償はクレカ情報とバインドされた個人ID。これでコンテンツとの接触機会を「川上から川下まで」単独制圧されたら「ユーザーライブラリを握る者が全てを支配する」事になる。

ユビキタスアクセシビリティ」という点では、auケータイ&au boxも、PS3&PSPも、Wii&DSiも一歩譲る。iTSがあるからだ。アクトビラGyaoやケータイはなお悪い。ダウンロードコンテンツを買ったって「買った機械でしか見れない(テレビオンリー/ケータイオンリー)」なら抗しえない。画質やフルスペック・ハイビジョンなど二の次だ。「デジタルの本質は安かろう悪かろう」だから。グーテンベルグが聖書を激安にしたのと同じ事だ。

あるいは。「全ての娯楽が三国志」っぽい事になってゆくのかもしれない。PS対SS対スーファミ、みたいなアレ。でも、ゲーマーみたいに「全部買う」って奴はそう居ないよなぁ。

*1:よく考えると数年で移動しちゃうキャリアなら、その間にカタチになる法案なり政策なりを残すべく必死コクのが普通なワケで、、、近視眼っちゃ近視眼だけど、人間そういうルートに乗っかりゃそうゆうもんなわけで、、、やっぱこのセリフ、クソ度胸なにほひがぎゅんぎゅんしますよ。

*2:大概の出席者は自分が主役と思ってるだろけど、こうゆう会議の主導権は事務局にある。議事録書いてんだから。とっちらかった会議を重ねる場合、全出席者の主張を吸収して最初に落としどころを見いだすのは事務局だ。てゆうかそーでなきゃいけねぇ。

*3:この分野別情報収集・分析機能は非常に優れている。その結果日本では、非政府系のシンクタンクや調査会社が盛んでない。民意集約機構としては、何年かに一度しかない選挙ーーこちらは地域別の民意集約機構だがーーより遥かに緻密で、レスポンスも良い。

*4:こうした実態を「官僚内閣制」と言うらしい。建前上は議院内閣制なんだけども、そっちのほうは「自民党内」で関心のある議員(族議員とも言う)が集まって官僚の「ご説明」を聞いて「調整」を済ませるので、民主主義の精神までもが形骸化している、とまでは言えない。さらに「野党」とは「国会対策委員」同士でこれまた「調整」を噛ますので、これも、民主主義の精神までもが形骸化している、とまでは言えない。、、、なんかすっげぇアクロバティックだけども。そんなわけで多くの法案や政策は「国会議事堂」では粛々と進む。

*5:一般には「天下り」を介して情報連結しているため、緻密なロビー活動や実効性の高い行政指導が可能になる。外野から見ると行政裁量がデカ過ぎるという事になるが、内輪では「業界全体のネゴ」が済んでるワケで、「アメリカより良いクルマを作れば儲かる!」的な状況下ではとてつもない成果を叩きだす。デメリットは、消費者問題や環境問題などの「生業に立脚しない立場」の利益代表が弱い・明白なお手本が無いと迷走ばっかりで無駄金を喰う(旧ソ連の五カ年計画に似る)・イノベーティブなビジネスを寄ってたかって「はぶ」にする・緊急経済対策がオールド斜陽産業の我田引水場っぽくなる。など。ようするに「発展途上国開発独裁」だと思ってます。独裁者がヒトでないトコが味噌。「先進国に、なってやる!!」ってキモチだったトコが味噌。「一個日本人是虫、一群日本人是龍」ってなもんで。

*6:ゲンミツに言うと日本の映像著作利権はほとんどキー局とNHKが抑えててーーつまり伝播利権と著作利権が合体してるんでーーどっちかと言うと文化庁は、北米における俳優組合とか脚本家組合とか、あのへんのノリが混じる......モノツク利権も映像著作利権を持つ伝播利権とネゴった上でコピワン/ダビ10を進めてる筈で、出演者とナシ付けんのは、伝播利権のほうでやっといてくんなきゃ敵わんよなもぅ。てとこかと。と言ってもこりゃあくまで映像の話で、音楽は音楽でまたイロイロある様子だし、まんが家と出版社が契約書を交わさず「なんとなくの信頼関係で」著作権著作隣接権を委託したり、委託範囲でモメたりしてんのを見ると、日本では、そもそもこうした単純な切り分けがすんげぇ非現実的。な、筈。ユメを創る連中に商売はできない。ユメを売る商売はカタギにはできない。

*7:いいやサクヒンはダレのモノでもなく人類共通のもんであり、言うなれば神様からの授かりものだーッ!ちゅ説はひとまず置く。ココロ惹かれないワケでも無いけども。

*8:ダメだったらそれぞれの権益集団がガンダムで戦うというのはどうか。