プロプライエタリ流通の三国志



経産省のメディアコンテンツ課長の認識エイベックス非常勤取締役を兼任する岸氏の主張
(1)

流通側が勝手に過剰投資してチャンネルを増やして、コンテンツの不足を嘆いている。コンテンツが足りないから流通を促進しろというが、流通で過剰投資が起きているだけ。本来ならコンテンツ制作の側に投資すべき


制作でなく流通への過剰投資を生み出しているアンバランスな関係にこそ問題がある。

ネットという流通経路には、違法コピーという社会的なコストとリスクが存在する


行政の対応が不可欠。
(2) 一方、コンテンツ制作側は、媒体やメディアに頼ってばかりいて、資金調達でも販促活動でも何の努力もせずに流通側に権利を取られると文句を言っている。そこに、経済危機による広告の落ち込みが拍車をかけている。マスメディアやコンテンツ産業にとって、ネットはまだ儲からないメディアという現実。「コンテンツは無料、収入は広告」モデルは、単にネット企業にコンテンツを搾取されるだけだった。

ビジネスモデルと技術が進化するまでの間は、ネット企業によるコンテンツの搾取を防止する公的な措置が必要かも。
(3) 従来型メディアはインターネットなどの新しいメディアを“従来のルールを壊すアンフェアなもの”と攻撃し、新しいメディアは、従来型のメディアは古いやり方にしがみついていると嘆く。こんな非生産的な構図はない。こうした発言を見ると、政府に、マスメディアやコンテンツ産業が直面する最も本質的な問題を打開する気概は少ないと考えざるを得ない。

マスメディアやコンテンツ産業の側が実力行使すべく立ち上がるしかないのでは。
どちらも面白みが足りない。

鳥瞰図的には経産の認識にシンクロ率400%だが、流通(ハードやインフラ)に投資してる人々に、コンテンツ制作のようなヤクザな博打を打てといっても、作法も何もわかりゃしない。
岸氏の主張は「既存著作利権」の保護主義にしか見えない。しかし、ヤクザな博徒(純粋著作利権、または、サクヒンビジネスの本質は、そうゆうものなのぢゃないかと思っているので。)に真人間になれ(自力でハードやインフラなどの流通を手がけろ)というのも、酷な話だ。

何れにせよ、既成の立場を前提に概念論争をやってる限り、打開力は生まれてこない。モノツク利権にしても、著作利権にしても。古流じゃ所詮、無理無理(電脳コイル面白いよ電脳コイル)。

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手許の脳は、経産省の課長さんの主張を、「サクヒンビジネスをめぐって、水道会社と水源地の間にドでかいギャップがある」と理解した。
銭の華は、この手のギャップの谷に咲く(「ソリューションの提供」とかいえばいいのかも知れないけど、問題は銭や、銭の華や。)。その事は、既にAppleが証明した。

栽培方針は単純だ。「デジタルの全て」に「プロプライエタリなシェル」を被せてしまえばよいのだ。コンテンツでも著作権でもなく、「ユーザーとコンテンツの接触機会」を、抑えてしまえばよいのだ(もちろん、やってのけるのは鬼。ビジネスの鬼。)。

認知/購入機会
iTunes Store / App Store
テレビの横戦線
mac mini / Apple TV
通勤・通学戦線
iPods / iPhones
ユーザーライブラリiTunes / mobile me

この「接触機会ランド」から、ユーザーを出さなければそれでよろしい。それで岸氏の言う「社会的なコストとリスク(パンデミック・違法コピー*1)」は、問題にならない範囲に封殺できる。

ユーザーライブラリを握る者が全てを支配する。DRMの有無など瑣末な事だ。囲いの外など忘れさせてしまえばOK。人は禁忌より魅力を好む。人前で保護や規制を求めるなど、下の下。幸福という情緒をあきなうなら、右手に輝く光の玉を、手綱は背後の左手に。

最終的にユーザーのiTunesライブラリは、「mobile me」に移行してゆきそうな気がしないでもない。もちろん最初は「世界最高のすばらしいバックアップ・ソリューション」とかなんとか言って。買ったコンテンツも、ローカルに落とさせない、落とすより便利なソリューションです。Firewireのデータ移行アシスタント?そんなものはじだいおくれだ!みたいな(それはそれで面白いので、猊下にはじっくり回復していただきたいところ)。

もちろんこれは、既存の著作利権(いわゆる「クリエイティブ産業」)にとって望ましいことではない。主導権を奪われるからだ。彼らを含む、「光学ディスクに魂を引かれた人々」にとっても望ましいことではない。水揚げが減るからだ。

だがしかし、もしも、デジタルの本質が「コピー」であるなら、最終的な目的地は「客にファイルを渡すな。鯖への入場料を取れ」になるのぢゃまいか。「お手元のマド」から「いつでも、どこでも、なんどでも」、見て頂くことができますよ。みたいな。

国内市場を見ても、「着うた」は「キャリアの壁」を越えられない。今やそのへんの雑誌にも、BDのDRMを突破するツールは、いくらでも載っている。もしも、デジタルの本質が「コピー」であるなら、「オープンな規格」という「バベルの塔*2」、は崩れてくのぢゃまいか。

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問題はその先だ。

独占は腐敗と停滞を生む。独占は腐敗と停滞しか生まない。Appleが唯一の「ユーザーとコンテンツの接触機会」になることを、自分は望まない。宗教がかったマカだから。1984なんて冗談じゃねぇや!*3

アンチDRMなおいらとしては理想的ではないのだけれど、現時点で望みうる最善は、「プロプライエタリ流通の三国志」、なのじゃないかと常々思う。

-Apple
-PSx(あえてSONYとは書かない。VAIOWalkmanなどのブランドは「不良債権」と思っているので)
-Nintendo

それぞれが魏、呉、蜀のドレに当たるかは別にどーでもいいんだけども。あとNOKIAのOviとか、シャープのスペースタウン・ブックスとか、国内のケータイキャリアとか、それとそれと、Palm preも忘れたくないんだけども。

あえてSONY任天堂を挙げるのは、どちらかというと、SONYは官庁街(霞ヶ関-虎ノ門-丸の内ライン)では独善的と言われる事の多い会社だし、任天堂に至っては、「官僚に首に鈴をつけられる」どころか、ゲーム業界の中ですら群れた事が無いから。横紙破り、覚悟完了、末路哀れは覚悟の前。

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経産について言えば。

仮に「なかのひと」が、「天下三分の計」に思い至ったとしても、口に出す事は無いと思う。「官民一体」が大好きで、「経済におけるプロイセン陸軍参謀本部」の異名を欲しいままにした組織の中で、口にだせるものではないはずだ。それは、経産は歴史的使命を終えたと言うに等しいことだし、予算や権限や行政指導力の縮退に繋がりかねない。自己否定を避けたければ、評論家のように、『こんな非生産的な構図はない』と嘆いて見せるが関の山だろう。

.....蒼天既に死す黄夫イザ黙れオレw。

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-複製芸術にかかるサクヒンビジネスは、
-「創り手」-「仲立ち」-「受け手」
-この三者のバランスの上に成立する。

-受け手の敬意は創り手に向く。創り手以外には向かない。
-「受け手」が「仲立ち」を意識することはない。
-てゆうかむしろ意識されたら負け。
--「モノツクリ権」は補助要素だ。大道具さんの心意気は重要だが、彼らが主導権を取る映画はない。「伝播利権」も補助要素だ。本屋さんの心意気は重要だが、彼らが主導権を取るマンガはない。

-しかしながら。「仲立ち」は不可欠の要素だ。
-ユメを創る連中にショーバイはできない。
--金勘定や法律に長けていたり、社会性が高ければ、わざわざ創作に途を見出す事もない。もっと効率よく生きてゆける。
-ユメを売るショーバイはカタギにはできない。
--定型的な形も決まった価値もない「サクヒン」を銭に代えるには、「莫迦には見えない服」を売る才覚が要る*4

-仮に。創り手と受け手の仲立ちを「純粋著作利権」と呼ぶ。
--彼らに必要な才覚は、香具師、詐話師、興行師。
--そしてタダミの客を簀巻きにする、腕力。想像力を喚起できるなら凄むだけでも良いだろう。
-彼らの「確かな手腕」が無ければ、「持続可能なサクヒンビジネスの発展」は望めない。

-文化の価値だって?
-それはひとりひとりの心の裡に。他人に形を決めてもらう事でない。
-ノイズは除去しろ。
-問題は銭だ。
-「持続可能なサクヒンビジネスの発展」だ。

話ずれるけど、私的録音録画補償金問題てのは、「創り手」と「仲立ち」で解決すべき問題ぢゃないのか?「出演者や作曲家」は、「放送免許と製作著作の複合体」に「おたくの局ダビ10?なら出演料は10倍ね!」というべきなのではないか?河原乞食の基本は、「蓆で囲って目隠しし、一回いくらで金を取れ」ではないのか?地デジに決済機能があるというのなら、なぜ録画から「焼き増し代」を取らない?

*1:不謹慎な表現だが、問題は違法でもコピーでもなく、「ねずみ算式に増殖する、金にならないコピー」の筈だ、、、それにしても、もっと旨い表現がありそうなものだが、、、不謹慎だし。

*2:(著作利権、モノツク利権、伝播利権の三者を含む既存産業界にとっての。)

*3:まことの信者には聖者も教会も必要ないのだw。神は猊下の言葉の裡に在らず、心の裡に居ませりw。Mac様の存在を感じるとき、ワタシの体が物理的に光って震.....いや、ここでクェーカーの方のご不興を買うのもナニだ。

*4:おそらくこの才覚は、伝統的な経済学で測れる範疇にない。営業マンの個人成績の違いや、旅館の「おもてなし」がそうであるように。