記者クラブはこの国の情報統制の基幹部である。

記者会見のオープン化は確かに小さな約束だったかもしれない。

いやたぶん小さくない。日本固有の「記者クラブ・クローズド・記者会見」は、1940年体制の重要な構成要素だと思う。

イ.1940のメディア・コントロール

イの1.1938年から1941年にかけて、内務省の行政指導により「新聞統合」が行われた。

新聞統合は、「悪徳不良紙の整理」(1938年-1940年)、「弱小紙整理」(1940年-1941年)、「一県一紙への統合」(1941年以降)の3段階を踏んで行われました。1938年当時739紙あった新聞がこの短い3年間で、108紙にまで減少し、敗戦時までには57紙に統合されました

これにより検閲がラクになり、紙資源の節約にもなった一方で、新聞社の経営は安定し、新聞事業は「儲かる商売」になった。悪徳不良弱小紙の整理と、一県一紙体制の構築は、今日の「全国紙・ブロック紙・地方紙」からなる3層構造の原型になっている。

イの2.1941年、個人の記者クラブ加入を廃止

さらに、記者クラブを整理統合し、個人単位のクラブ加入を認めることを廃止しました。記者クラブの加入資格を基本的に新聞社・通信社とし、加入新聞社数の制限も加えました。この悪しき風習は現代の記者クラブ制度にもそのまま引き継がれています。

これは、「新聞社・通信社による情報の水源地独占」といえる。情報水利権?

ロ.「ガラパゴス・メディアザウルス」

「新聞社・通信社の情報水利権」は、戦後も残った。この結果、政府による情報統制は、形式的には、一見、弱まったように見えるものの、より洗練され、より不透明な形で残っている可能性がある。
ところで世の中には、全国の記者クラブに報道資料を御届けします!てな便利な会社があり、そこの解説は以下のとおり。

記者クラブは日本の報道機関において重要な位置を占める取材組織のことであり、さまざまな記者クラブが存在しています。記者クラブでなければ取材ができない状況というのが実際に設けられているものであり、公的なものである場合がほとんどです

ちなみに上記には「記者クラブ一覧リスト」てのもあってなかなか便利。

これらが『記者クラブでなければ取材ができない状況』に相当するのなら、この国の中心核には、現実歪曲フィールドがかかっている可能性がある。

もちろん当事者同士の対立はあるだろう。だが「土俵の外」から見れば、どちらも「関取」だ。

もしも取材対象と対立しつつも、「一県一紙の大新聞」、「全国ネットのキー局」、「みなさまのNHK」の人々が、「土俵に埋まってる金を掘り出すために」、関取に要求される「品格」を守るなら、「ダブル・トライアングル」は「マスコミというATフィールド」を展開できる。


ここを崩さない事には「脱・官僚支配」も、「脱・1940年体制」も難しい。はずだ。…別に朝青龍が「鷲の舞い」を舞ったっていいぢゃまいか!

ハ.おおきくブレまくって。

ハの1. 記者クラブ解放の方針は2002から

 民主党はすでに2002年から、党が主催する記者会見は、記者クラブに所属する既存の大手マスメディアだけでなく、雑誌、海外メディア、ネットメ ディア、フリーランスなど、すべての報道関係者に開放している。また、小沢一郎氏以降の代表はいずれも、民主党が政権を取ったときは、政府の記者会見は開 放することを公言している。

ハの2. 2009年03月26日 民主党 小沢代表

「私は政治も行政も経済社会も日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。ディスクロージャー。横文字、カタカナを使えばそういうことですが、それが大事だと思っております。これは自民党の幹事長をしていたとき以来、どなたとでもお話をしますということを言ってきた思いもございます。そしてまた、それ以降も特に制限は全くしておりません。どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090324/stt0903242350013-n1.htm
 これによって、民主党は、正式に記者クラブの開放を宣言したことになる。少なくとも、小沢代表の言質は取った。民主党が2002年に記者会見を開放して7年、ようやく世間にも周知されたことだろう。

ハの3. 2009年05月16日 民主党 鳩山代表

私が政権を獲って官邸に入った場合、えー、上杉さんにもオープンでございますので、どうぞ、お入りを、頂きたいと、えー自由に、いー、これはいろいろと、 えー、記者クラブ制の中で、えー、中では、ご批判があるかも知れませんが、それは小沢代表が言う事を、残してくれたと、そのようにも思っておりまして、私 としては、当然、ここは、どんな方にも入って頂く、オープン性を高めて行く必要があると、そのように思っています。

ハの4. 2009年07月27日 民主党 鳩山代表

7月27日のマニフェスト発表の会見で のことだ。民主党がこれまで維持してきた「記者会見を記者クラブ以外のメディアに開放する」方針がマニフェストに入っていない理由を問うた筆者に対して、 鳩山由紀夫代表は「マニフェストに入れるまでもないと考えた」とした上で、「民主党政権では記者会見はオープンにする」と、政権を取ってからも記者会見を 開放する方針を貫く意思を明確に公言している。

ハの5. 2009年09月16日 民主党 鳩山首相就任

■前夜の状況

■首相初会見が記者クラブ以外に解放されなかった理由

 総選挙が終わった直後から、実はこの問題に関して水面下で熾烈な戦いが繰り広げられていた。記者クラブを形成する既得権メディアが経営幹部から一 線記者まで動員して、さまざまなルートで民主党の各層に働きかけを行っていた。鳩山由紀夫代表に直接、電話を入れた大手新聞社の首脳がいれば、秘書や側近 議員の籠絡を担当した記者もいたという。
そのときの共通する殺し文句が、「新聞、テレビなどのメディアを敵に回すと政権が長く持ちませんよ」というものだったという。

その真贋は判断できないが、たれぞ明らかにしてもらえないもんだろうか。