10月前半の記者クラブ解放を巡るうごきとか

09/10月17までの状況

2009/09/29:「霞クラブ(外務)」解放。
  • 岡田大臣、『大臣会見に関する基本的な方針』発表。すべてのメディアに記者会見を開放することに。
  • これに対し霞クラブは「留保」を申入れるも、岡田大臣は開放について明確な見解を示していないとして記者会見の完全オープン化を実施。
2009/10/06:「財政研究会(元大蔵)」半解放。
  • フリージャーナリスト、上杉隆氏が情報番組で同席した亀井郵政・金融相に記者会見オープン化を「陳情」。
  • これに対し財政研究会は「運営に支障を来たす可能性が高いので記者会見をオープンにすることはできない」と回答。
  • 亀井大臣。ダブル記者会見。フリーランス、雑誌、ネット、海外メディアなどの記者に対し、同内容の記者会見を別途開催。
2009/10/14:「平河クラブ(自民)」解放。
  • 谷垣禎一総裁、定例記者会見にフリーランスや雑誌記者を参加させる。
  • ただし、「質問はクラブの記者が先」
  • オープン化の理由も『今までは慣行に従っていたということじゃないでしょうか。それにつきると思います。もう少し来てくださる方の幅も広げ、私どもの発信先も広げたい。こういうことにつきます』という、ある意味で配慮に溢れたもの。

「財政研究会」関連

財務省記者クラブ。国内の主要新聞、放送、通信社のほか、海外メディアも所属。「財研」の略称で知られ、各社の経済部エリートが集い、経済記者の中でのステータスは高い。主張は大蔵省時代から官僚と同じ財政規律至上主義が多く、財政危機や巨大公共事業反対の論調はここで作られる。

亀井氏は、金融庁内で行われる会見を主催する記者クラブ「財政研究会」に対して、同クラブに加盟していないメディアやフリーランスの記者の会見への参加を認めるよう要請していたが、記者クラブ側が30日、「運営に支障が出る」として要請を拒否する回答をしていた。
 これを受けて亀井氏は、クラブが主催する会見の直後に、大臣が主催するクラブ非加盟社向けの会見をもう一度開くことを決めた。

この日はそれぞれシンガポール と中国の新聞からの取材だった。
「長い年月をかけ、私たちジャーナリストは時に団結し、情報を隠そうとしがちな権力者や政治家に対して、記者会見を開いて説明責任を果たせ、と要 求してきました。でも、世界の中でここ日本だけが、大臣が記者会見をオープンにしろと言っているのに、記者たちがダメだと言っている。まったく理解できない。説明してくれないか」

 筆者は、あきれ果てるSPHのフー・チュウウェイ特派員と中国時報の黄青青支局長に対して、「きっと意味不明の詭弁を弄して、自らのつまらない既得権益を守ろうとしているのだろう」という説明を加えた。
 だが、当然、彼女らは納得がいかない。逆に、「いったいどんな利益があるというのか」と突っ込まれ、こちらが黙ってしまった。

実はクリアに言葉で言おうとすると説明できない。
懇親会や懇談会で個人的な信頼関係をつくって情報を獲る、という行為は、各記者の個人技の範疇だし、外形的にも(そして恐らくは当事者意識の上でも)記者クラブと関係ないと言えば関係ない。記者クラブの内側に居る人々も、(たぶん)ふいんきで、なんとなく、そうしている。
しかし、記者クラブに出入りしていなければそうしたチャンスが薄い事も確か。これは、普遍性が無い。論理が無い。「アウトサイダー」にとっては理解し難い区別だろう。

2009/10/14:平河クラブ(自民)関連

クラブ加盟社の質問が10個ほど続いたあとで、フリーランス・ライターの畠山理仁さんが、記者会見開放について3つ質問した。
「(1)今回の総裁の記者会見を平河クラブだけでなく、希望するメディアにも開放するということの狙いはどこにあるのか。(2)外務省と金融庁が大臣会見をフリーランスのメディアにもオープンにしているが、自民党政権下ではオープンにできなかった理由は、どこにあるのか。(3)そして、オープン化についてどのように評価しているのか」

「3つお聞きになりましたが、1つずつ個別に答えられるほど、私は熟慮したわけではありません。言えることは、今までは慣行に従っていたということじゃないでしょうか。それにつきると思います。もう少し来てくださる方の幅も広げ、私どもの発信先も広げたい。こういうことにつきます」

マスコミ側の異論

  • 解決できない大きな理由のひとつは、現場にいる優秀な記者ほどこの問題には関わりたくないと考えていることだ。
  • 彼らの本来業務は取材。取材をほっておいて幹事業務に専念できるわけがない。
  • 現場の記者諸君の気持ちを代弁すると「ただでさえ忙しいのにクラブ問題になんか関わっていられるか」ということになる。
  • かつて郵政省とNTTの記者クラブ再編問題が起きた時、~何も決めてくれない会社にいらだった記憶がある。
  • その時は「もうやってられないから、新聞協会で解決してくれ」と要請して下駄を預けた。
  • ところが新聞協会も、現場の実態を知らないまま議論するから、本質的解決策を提示できない。
  • 記者クラブ開放問題については、現場も協会も当事者能力に欠けるといってもいい。
  • フリーランスや雑誌記者が開放を求めるのは理解できるが、だれにこの問題をぶつけていいのかたぶん分からないで困っているはずである。

ある意味「コア」が無いというか、記者クラブを維持する側に、当事者意識を持つ主体が無い(をいをい)。
その一方で、「ドコまでオープンにするのさ問題」が提示される。

  • 日本は肩書き社会である。私は大学教授の肩書きもあるが、あえてブロガーだと名乗って民間企業に取材を申し込んだことがある。ブロガーというだけで取材お断りである。実績などいっさい考慮されない。

そして「メディア・コントロール問題」が提起される。

  • 以前に民間企業の記者クラブ開放問題があった。いまはほとんどのクラブが開放されるか廃止されていると思うが、その結果はどうなったか。記者発表と称する会見ショーが取って代わった。
  • 中には宣伝広告業界の人たちまで混在した中で、開かれている。それはまるでイベント、ショーといってもいい。まじめな記者と発表者との間の真剣な質疑応答はなくなり、発表者に都合のいい情報だけが垂れ流される。
  • 官邸や官庁の記者会見開放には反対ではないが、総理会見や大臣会見がショーになり下がる恐れが十分にある。このことを考えておく必要がある。

『心ある記者クラブメンバーと新規参入ジャーナリストが協力してこの問題を解決してくれることを望む。開放一本やりでは何も進まないどころか、かえって民主主義を危うくする側面があることに想像をめぐらせてほしい。』
という結論には大同意だが、まず現在の記者クラブは「日本新聞連盟@太平洋戦争開戦の年」で成立した情報寡占が、形を変えたものだ。孫引きになるが、

この時点で、「記者クラブ - Wikipedia」の言う『第1回帝国議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成〜』という当初の理念は大きく変質し、以後、ラジオ、テレビ、雑誌等に対する「新聞資本の情報寡占システム」として機能してきたところが大きい。
端的なエピソードがある。

旅行ブームのはしりだった昭和38〜39年ごろ、長野鉄道管理局や新潟鉄道管理局と、地元の県市町村共催の『夏の北アルプス打合せ会』などでよく顔を合わせる新聞・出版記者のあいだで「年じゅう一緒に取材をするのだから、取材記者クラブをつくろうじゃないか」という話が持ち上がった。 新聞と出版の記者が協力して記者クラブをつくるというのは、ジャーナリズムでも例のないことだったが、取材対象が『旅行』ということで、両者とも新形式のクラブ設立に燃えた。

昭和49年3月、前年からくすぶっていた新聞社側の「出版社と合同の記者クラブはおかしい」という不満が表面化して、新聞関係14社が『旅行記者クラブ』を退会し、新たに『レジャー記者クラブ』を結成した。

合同記者クラブのなにがおかしいのか?ココを突破口に、以下にある記者クラブに出入りされては実入りが減るという事だろうか?

上記の記者クラブ群に「ヨソ者」が入ると、何か困るのだろうか?

当然、現場レベルでは無自覚だろう。このようなものいいは心外に響くだろう(納得してたら仕事になんないし)。駄菓子菓子。この構造の中で、閉鎖的な懇親・懇談会で発せられる匿名発言(「政府高官」など)が紙面を覆うなら、優秀な記者ほど「プロパガンダ加担度」が増してゆくリスクがある。

記者会見が『公開ショー化』するなら、自分としてはそのほうが「たのしい」。優秀な記者ほど別の切り口を探すからだ。映画評や演劇評論は、いろんな種類を読みっくらするほうが面白い。

マスコミ側のカイゼン努力

民主党自公政権の「官僚依存体質」を批判した。同じ「官僚依存体質」は、マスメディアにも当てはまるのではないか。ただし、日を追ってメディアの側も態勢を整えているようだ。
朝日新聞の場合は、「政権取材センター」を結成。国会記者会館に政治、経済、国際、社会、生活、地域報道など各セクションのデスク、キャップクラスが連日集まって、取材内容や出稿計画を連絡、調整しているという。いろいろ新しいことを唱えている割には新聞社の体質は古く、各セクションの垣根は結構高い。一つの主題で相当の期間スクラムを組む上記のような光景を、私は現役時代にほとんど見たことがない。』

英米流の「顕名個人ジャーナリスト」も面白いが、「記者クラブという防波堤」を当分の矢防ぎに使いつつ、「日本流チームワーク・ジャーナリスト」を育ててゆく、というのも面白いかもしんない。

ただし、自分としては、この防壁が永く持つ事を望まない。政治経済産業構造が大きく変質しようとしている時には、「言論の多様性」が、だいじな要素になると思うからだ。