1930年回りの簡単な年表

現代が1930年代に似ているとすれば、経済危機のあとに来るのは、保護主義ファシズム、そして戦争だろう。「保護主義の覚醒」を説く経済官僚がすでに出現し、リフレで経済問題を一挙に解決すると主張する「青年将校」も、「希望は戦争」と公言するフリーターも出てきた。

  • 1918 WW1バブル壊(戦後不況)
  • 1923 関東大震災(戦後不況の不良債権処理が、震災手形に紛れて長引く)
  • 1927 昭和金融恐慌
  • 1928 張作霖爆殺事件、男子普通選挙
  • 1929 世界恐慌
  • 1931 満州事変
  • 1932 満州国建国、5・15事件。
    • 関東軍参謀石原莞爾の依頼により、満鉄調査部ロシア班の宮崎正義らが建国プランを作成。骨子は、1)無秩序な資本主義システムが恐慌を生み出したと言う現実から出発し2)統制の必要性を強調3)ただしソ連のような国営企業一色とは異なり、産業分野を、国営分野・私企業に法的規制をかける分野・自由競争に任せる分野の三つに分けるべきとした。
  • 1933 国際連盟脱退
  • 1936 昭和十二年度以降帝国歳入及歳出計画(付、緊急実施国策要綱)
    • 東京に帰任した石原、宮崎らが結成した日満財政経済研究会(公式には石原の私的シンクタンク)による日満一体の国力拡充計画。5年間の歳入歳出予測を下敷きにした国家改造計画書で、(付、~)の骨子は;
    1. 行政機構の抜本的改革:中央集権化。
      • ※多くは実現しなかったが、地方交付税など税源の集権化(と中央からの再配分による平準化)などは、ここに背景があるよーな希ガス
    2. 陸海軍の協調:
    3. 輸出産業の拡大:軍需産業を発展させるため。
    4. 産業別統制政策:産業の重要度に応じて3形態に分けて監督助成。
      • 国営形態:電力、航空機、兵器
      • 特殊大合同形態:石油、石炭、鉄鋼、自動車、化学
      • 企業組合組織:政府による行政指導
      • ※いわゆる「大企業」の顔ぶれは、この時期からあまり変わっていない。また「大企業あっての中小企業」という産業構造も、この時期に確立している。終身雇用・年功序列、株式の持ち合いなどもこの時期に急速に普及した。
    5. これらの改革には「少なくとも十年の平和を必要」とした。
    • ※もしこれがウマく行って、成長の果実を安全保障に回す必要がなく、国民所得に振り向けてよければ、所得倍増計画になった。ハズ。
    • 以後、宮崎らは、この計画を煮詰めるとともに、政財界各方面に精力的に採用の働きかけを行う。
  • 1937
    • 1月 満州国産業開発五カ年計画:関東軍決定として満州国政府に伝達。
    • 6月 重要産業開発五カ年計画:陸軍省案として作成。
    • 7月 日中戦争開戦:↑長期化にともない、経済発展計画から軍需物資調達計画へ変質。
  • 1940 第2次近衛内閣
    • 革新官僚:第2次近衛内閣を支えた革新官僚は、石原、宮崎らのミームの感染者と思われる。
    • 新体制:彼らが志向した新体制が、野口悠紀夫さんのいう『40年体制』の礎と思われる。

出典:小林英夫『<満州>の歴史』2008。野口悠紀雄『新版 1940年体制』2002。Wikipedia