つまりMacであれ、Winであれ、我々は「今ある形のパソコン」に染まっている。

自分たちが先頭で、未来は僕らの手の中で、それがこの先もずっと続くと、無意識の裡に思っている。その結果;

  • それと大幅に異なって見えるものには無意識の裡に違和感を感じ、
  • ソレより機能の少ないものを無意識の裡に劣ったものと看做し、
  • デジタル・デバイドを無意識の裡に「訓練や教育ややる気の問題」に帰す傾向を持っている。

筈だ。

それは、「ほんとうに誰もが使える素晴らしいコンピュータ」が出て来た時に、うまく理解できない可能性が高いと言う事だ。

iPadがそうであるか否かはまだ解らない。だが、猊下の諦めの悪さが天下一品な事は、確実だ。

 「ジョン・スカリー氏は、腐敗した一連の価値観を経営陣に持ち込んでアップル社を台無しにした。何人かの幹部たちを堕落させ、堕落しない幹部たちを追い出した。そして、もっと腐敗した人々を招き入れ、自分たち自身は合計で数千万ドルもの給料を受け取った。誰もが使える素晴らしいコンピューターを作る、というアップル社の設立理念を守ることよりも、自分たちの名誉と富を優先した」——『コンピューターワールド・オナーズ・プログラム』オーラル・ヒストリーに収録のインタビュー、1995年4月20日

「ご存じのとおり、私にはアップル社救済プランがある。それがアップル社にぴったりの製品であり、完璧な戦略であるということ以外は口外できない。しかし、私の考えに聞く耳を持つ者はいないだろう」——『フォーチュン』誌1995年9月18日号

私がアップル社の経営者なら、マッキントッシュをできるだけ利用する——そして次の実りある事業に取りかかる。パソコンを巡る戦争は終わった。済んでしまったことなのだ。米マイクロソフト社がずいぶん前に勝利を収めたのだ」——『フォーチュン』誌1996年2月19日号

自分は、Mac OSXそのものを、有償頒布の試作品と看做している。猊下がフトコロから取り出す全てのものを、『次の実りある事業』へ渡るためのブリッジと看做している。