産業構造審議会-産業競争力部会に関するブクマ(と雑感)
産業競争力部会とは
経済産業省は、平成21年12月に提示された、成長戦略基本方針を踏まえ、日本産業の今後の在り方を示す「産業構造ビジョン(仮称)」を策定するために、産業構造審議会に新たに産業競争力部会を設置いたします。
「今日の日本の産業の行き詰まりや深刻さ」を踏まえ、今後、「日本は、何で稼ぎ、雇用していくのか」、ということについて議論します。
スケジュール
- 第1回 2月25日
- 問題の洗い出し
- なぜ、技術で勝って、事業や利益で負けるのか?
- 設計・開発・生産現場は国内に維持できるか?
- 第2回 3月26日(予定)
- 第3回 4月5日(予定)
- 医療・介護・健康・子育てのニーズをビジネスに活かせるか?
- 日本の感性・文化・安全をアジアマーケットにつなげられるか?
- ファッション、食料品、農業品、観光、アニメ等
- 地域に産業発展モデルはあるのか?
- 第4回 4月23日(予定
- 政策の抽出
- 戦略分野・主要産業
- 第5回 5月下旬(予定)
- とりまとめ
メンバー
- 青山理恵子(社団法人日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会副会長)
- 秋山咲恵(株式会社サキコーポレーション代表取締役社長)
- 伊藤元重(東京大学大学院経済学研究科教授)
- 逢見直人(日本労働組合総連合会副事務局長)
- 大坪文雄(パナソニック株式会社代表取締役社長)
- 勝俣恒久(東京電力株式会社取締役会長)
- 小島順彦(三菱商事社長)
- 小林喜光(三菱化学社長)
- 佐藤康博(みずほコーポレート銀行取締役頭取)
- 重久吉弘(日揮グループ代表)
- 白石隆(総合科学技術会議議員)
- 妹尾堅一郎(東京大学特任教授NPO法人産学連携推進機構理事長)
- 千金楽健司(株式会社アパレルウェブCEO)
- 土屋了介(国立がんセンター中央病院病院長)
- 鶴田暁(環境テクノス(株)代表取締役)
- 寺島実郎(財団法人日本総合研究所会長、三井物産戦略研究所会長)
- 西田厚聰(株式会社東芝取締役会長)
- 長谷川閑史(武田薬品工業社長)
- 宮島香澄(日本テレビ解説委員)
- 森正勝(国際大学学長)
- 渡辺捷昭(トヨタ自動車株式会社取締役副会長)
ここまでの所感
メンツは「えらいひと」ばかり。正味3ヶ月、5回の会合で「政策を抽出」し、「戦略分野・主要産業」を定めようという、豪快な計画。こういうスケジュールは、事務局内部で腹案ができあがっていなきゃ組めない。既に第一回の時点で、『参考資料1 成長戦略骨子(PDF形式:495KB)』が配布されている。メンバーがどこまでご存知かはともかく*1、少なくとも、下記の範囲での「根回し」は、済んでいるものと思う。
産業構造の問題について言えば。
上記のシカケは、新興産業(ビジネスモデルのイノベイター)をアウトサイダーと看做し、排除するか、角を矯める方向に動く。なぜなら「ビジネスモデルのイノベイター」は、既存の終身ケツモチ(終身雇用・ケイレツ・モチアイ)を危うくするからだ。この構造は、それらが伸びる事を、赦さない。
このシカケは、「戦略は既にテッパンだ。後は、ススメイチヲクヒノタマだ(追いつき追い越せ)!」に向いている。だけでなく、「行き過ぎた市場原理主義の諸症状を緩和する」という意味でも、極めて優れている。「世界で最も成功した、事実上の人民公社体制」と言って良い。
しかしながら。度が過ぎると「非効率で、潰れべき企業を延命する」効果を持つ。前述の通り「若い芽を摘む会」としても機能する。本来、市場経済の原則は「倒産のない経済は不経済(大平正芳)」なのだが、度が過ぎると、この原則が持つ「産業構造の新陳代謝」まで阻害してしまう。
これが「今日の日本の産業の行き詰まりや深刻さ」を招いている。行き過ぎた市場原理主義とたたかうぞー!という思想はビューティホーだが、それを叫びながら一億総玉砕に向かうようではビューティホーでない。
技術について。
- 『なぜ、技術で勝って、事業や利益で負けるのか?』
「利益より技術を優先するからだ」。結果論で言えば他の回答はない。利益は、市場に対する考察からしか生まれない。技術は、考察結果を手にするべく、必要に応じて用いべきパーツに過ぎない。この設問じたいが、蛇口さえありゃ水が出ると信じる未開の人を想起させる。市場より需要より「顧客」より、技術を優先してしまったらお客はついてこない。
///追記20100307
民族間に能力差は無いと考える場合。日本人が技術に強く、事業や利益に弱いという事は無い。リソース配分に問題がある。儲かる技術と儲からない技術を見分けるセンサーを強化し、儲からない技術からリソースを引き上げ、それをビジネスモデルの構築に振り向ける必要がある。
甚だ抽象的かつ迂遠ではあるが、この基本姿勢抜きで水とか環境とか介護とか文化とか、個別のジャンルを検討しても、得るところは少ないように思う。
///追記了
ところで「イノベーション」は、単に「革新」と訳出されべきものだ。しかしながら、「イノベーション=技術革新」というイメージが一般的である。なぜか。
“Innovation "を”技術革新”と訳出してひろめた事を通じて、技術進歩が経済そして社会を変える原動力であることをポジティブにとらえて論じた。
wikipediaでは譽之助さんを、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた官僚、と紹介している。キャッチフレーズ作りの名手といわれ、経済事象が一般人の身近な話題となるきっかけをつくった。ともある。有名なのは「もはや戦後では無い(昭和31年度経済白書)」だろう。これは確か、「戦後復興に頼る成長は終わった。これからは技術革新を頑張らんばならんぜよ!」とかなんとか続く。1950年代中盤の日本に於いて、それ以上に的確な認識はなく、また、これ以上に適切なプロパガンダもないだろう。譽之助師匠と呼ばせてくださいw。
譽之助師匠は、1960(昭和35)年にこの世を去られた*2。所得倍増計画は、その年に閣議決定されている。
2010は、それから半世紀が過ぎた勘定になる。もはや「意図的な誤訳」を用いるべきではない。技術革新を忌避するようでは問題だが、いくらなんでもこのパラダイムは賞味期限を過ぎ過ぎだ。腹は壊れねぇけどオツム壊すよ!。
我々は、ほとんど宗教的なレベルにまで達した技術信仰(aka.ハイテクハイテク日本はやっぱりモノツクリ教)から解脱しなければならない。利益は、市場に対する考察から生まれるものだ。他の淵元は無い。
うーむ。ここで具体例を挙げなきゃお師匠さんには勝てない(なんの勝負だw)。