Disney 手描きアニメの復活「プリンセスと魔法のキス」雑感

ふと新聞でディズニー映画『プリンセスと魔法のキス』の記事が目にとまった。手描きは6年ぶりだという。アレ撤退したのもっと昔でなかったかと思っていたぐゎ、どうも日本未公開のワナだったらしい。

米人的には6年ぶりの手描き劇場ディズニー・アニメーション、とゆう事になる。んでも主観的には10年前から、コストが掛かり過ぎる、興行的にペイしない、今の子供はCGでなきゃ見ない、、、などなどなどの話を聞いてきたよーな希ガス。最後のはともかく、銭の華至上主義者としちゃコストの話は説得力があった。別にディズニー好きではないのだけれど、ここは一つ、
ナイン・オールドメンの英霊達が無駄死にで無かった事の証の為に、再びディズニーの魔法を掲げる為に、「本物らしい非現実」 成就の為に!劇場よ、私は帰って来たぁあああっ!
とかなんとか言って欲すぃw。ダメですか、ダメですね……オレがw。

監督はジョン・マスカーさんとロン・クレメンツさん(共同監督)。写真があったら見て欲しいのだけど、アメリカのアニキャラかセサミストリートのぬいぐるいみたいな顔をしてらっしゃる(失礼だ)。お二人とも80年代末のディズニー第二黄金期*1の立役者だったが、手描きアニメ撤退で;

マスカーとクレメンツはディズニーを去り、当時を「本当に悲しかった」と回想している。

んが、フルCGアニメ『トイ・ストーリー』で一躍名を馳せたジョン・ラセターさんが、ピクサーの偉い人からディズニーの偉い人にまで駆け上ると、

「自分のこよなく愛するセル画の手描きアニメを復活させたい」と申し出て、再び手描きのアニメーションのプロジェクトが始動することに。

かつ。

本作は、ディズニーの伝統であるミュージカルの形式を持ったアニメの復活、そしてプリンセスが登場するアニメの復活でもあった。

舞台設定は1920年代。だからジャズ、て紹介もあんだけど、ソコ、ウォルト青年20代。1928の『蒸気船ウィリー』に向かって、若い頃の苦労を買いまくり。てな含みもあるといいなぁ…。

それはともかく。たった6年のブランクとはいえ、復活はそう簡単でもなかったようだ。

クレメンツ監督 「ディズニーは真剣に手描きの手法をやめる決断をしたので、当時今まで使っていた鉛筆、画用紙をすべて処分することになったのです。作業デスクもなくなって、アーチストたちもいらなくなりました。そのためスタジオを新たに建てるところから再開したのです」

設備資材はともかく、今日の日経には、新規採用の学生教育から手をつけた、とか書いてあった。一度散開しちゃうと描き手さんの方もなかなか大変らしい。

ただし。「カートゥーン:アニメーション100年 第6章 ウォルト・ディズニー」にこんな話が載っている。

  • 当初ディズニーが考えていたのは、今契約できるトップ・アニメーター(特にニューヨークの)を雇い入れたいということだった。だが、彼ら熟練アニメーターに技術はあったが、仕事振りに欠点があることがすぐに明らかになった。ディズニーが少しずつ導入した製作方法やスタイルの革新を受け入れるつもりがほとんどなかったのである。そこでディズニーは新人を雇って彼の目論見に合うような形に養成することにした
  • 1941年までディズニー社内のアートスクールではアニメーターを教育し、新しいスタイル・技術的な原則を教え込んだ。ディズニーがアメリカアニメに対して与えた衝撃はトーキーの発見がアメリカ映画界全体の興盛に与えたものと同じである。全ては突然に起こった。彼は旧来のやり方で作られた作品をみな時代遅れのものに変え、流通から駆逐してしまった。これは技術革新というよりむしろ一種の生産革命であった

一般論になるが、日本なら「見て覚えろ」「技は盗め」でやるような事柄 〜 暗黙知というのだろうか 〜 ソレの言語化・定型化・普遍化にかけては米人の右に出る者はない*2。先に挙げたナイン・オールドメン(aka.九聖人)というのは、このアートスクールの教官でもある。そして、共同監督は、お二人ともウィキペの「ナイン・オールドメンとゆかりのある(あった)人」に出てる。さらにクレメンツさんのトコには『新人の時に、研修プログラムの指導をしていたエリックに教わる』とあり、、、つまり直伝ダロそれw。

往年の「アートスクールの教育過程」を、九聖人の公刊資料、社内残置資料(あれば)、そしてクレメンツさんの記憶から再現したと思われる。

///ちと余談:
おそらく。この「教育プログラム」抜きでは「ディズニー作品」にならない。そして、それは、ある意味で、絵描きの個性をガチガチに殺すもの、だと思う。こんなふうに。

『新しいスタイル・技術的な原則』というのは、絵描きの個性をで製造業でいう「公差」の範囲に封じ込める訓練で、『ニューヨークのトップ・アニメーター』が拒否したのは、ソコなんぢゃないかと…思った。いま。絶対に絵が崩れないのが「ディズニー」だから。「あれ、このシーン原画の人違う?」なんて、思いもしないのが「ディズニー」だから。

みたいに、中割りが自分で考えるなんて、赦されてないと思うアレ。でも「人種のるつぼ」の中で、「集団でアニメーション」を創ろうとするなら、(日本のアニメでは赦されて来た種類の)個性は潰さなきゃならないんだろうなとも思う。『きれいな絵を描こうとするより、うまい絵を描こうとするべきである』と言っても、民族(背景文化)が違うだけで、うまいもキレイも誤差が出まくる。ガチガチに中央統制した方がいい。

それでも。ソレが「良いサクヒン」を生む為のベストであり、その為にみんなで頑張ったのであり、さらに結果まで付いて来たのであるならば、「その場」を大切に想う人は、きっと出て来る。たぶん。

///話もどして;

マスカー監督 「これに補足しますと、上司の命令に背いて、あるスタッフが、作業デスクを捨てずに倉庫に隠していました。そして手描きの手法を復活させることが決まったとき、 その倉庫の扉が開けられたのですが、中に並べられた作業デスクを見た時、私はまるで魔法にかかったような気持ちになりました。これがディズニーの魔法なんだと、その時は本当に感動しました」

泣く。これは泣くw。苦節六年!本当に悲しかった事でしょう!本当に感動した事でしょう!それでは!万感の想いを込めて語って頂きましょう手描きの良さを!

マスカー監督 「子供の頃、1絵を描くのは好きだったと思いますが、その絵が命を持つというのは素晴らしいことです。一度はパラパラ漫画で遊んだこともあると思います。手描きは有機的で温もりがあります。印象派のような表現も、顔の表情も、2頭の中で思ったものをその場で手を通じて瞬時に紙に表現することができるのが醍醐味です。子供の頃から私はバンビやジミニー・クリケットを見て、3実写よりも本物らしく、バイタリティを感じていました

  • 下線1:animate:『〜に生命を与える』
  • 下線2:What You See Is What You Get. ハテナ記法もHTMLもくそくらえ。オレが欲しいのはWYSIWYGエディタなんぢゃい!みたいなフラストレーションが、CGの工程にもあるのかもしんない。自分がanimateしてる実感が薄い、みたいな。
  • 下線3:ウォルト・ディズニーさんは「本物らしい非現実」を目指したとゆう。

とりわけ2が大事だと思う。創り手が気持ちよく創れる技法の方が、良いサクヒンの出る確率は、上がる。その点CGも随分進化してるとは思うのだけど、

プロデューサーのデル・ヴェッチョは「ディズニーにつとめるアーチストたちは手描きもCGも器用にできるのですが、みんな手描きに戻りたくてしょうがないという感じで、やる気満々でした」とコメント。

やっぱまだ、モデリングしてホネ入れてテクスチャ貼ってポーズ決めてレイトレーシング考えてそれからレンダリング…は、そもそも「絵を描く」とは違うのか。出来上がりは同じアニメーションに見えても。もともと物理シミュレータだもんなポリゴン*3

もちろん、ペイしなければ意味がない。

[2010年01月25日(月)] 週末の全米映画興行成績は、ディズニー伝統の手描きアニメの技法を復活させた 最新ファンタジー・アニメ「プリンセスと魔法のキス」が興収2500万ドル(約22億円)を稼ぎ出し、みごと1位に輝いた。

これがスゴいのかスゴクないのかはよくわからない。でも、いくら『今の子はCGでなきゃ見ない』ったって、6年そればっかぢゃ飽きる。今年で六なら「うわなにこんなの見た事ねぇ!」だ。

ぐぬぬ。おのれディズニーさんめぇ。かっこいいなぁもうw。

*1:『リトル・マーメイド』とか『アラジン』とか

*2:伊達に人種のるつぼぢゃない。

*3:あれ?んじゃ本田雅一さんが大プッシュしてる3DTVて、グランツーリスモとかやったらよくね?