FNS(ファミリー・ネットワーキング・サービス)というのはどうか。

「社会」の方にSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)があるってんなら、家族の方にもFNS(ファミリー・ネットワーキング・サービス)があるべきではないか。

mixiだのモバゲーだのプロフだの裏サイトだのが怖いってんなら、「家族(最も小さい社会)」の方にもIT武装があるべきだろう。親子の対話をIT化し、FNSを駆使して超時空リアルタイム参加型家族に進化するのだ。みたいな(なんだ参加型家族てw)。

イ)日本の保護者は子どものオンライン行動に世界で最も無関心

1)出典
2)日本に関する概要
「子どもがインターネット上で見ている内容を全く知らない」と回答した保護者   17%(14カ国中最多)
「自分がオンラインで何をしているか保護者はまったく知らない」と回答した子供  21%(世界未記載)
子どものインターネット利用に際して“家族のルール”を設けている率        38%(14カ国中最低)
「ペアレンタル・コントロール」を設定している保護者の割合           22% (他国よりも低い)
子どもがオンライン上で何を見ているのかを把握している割合           83% (14カ国中最低、世界平均は 95%)
子どもがインターネットで1好ましくない体験をしていると考えている親の率     17%(世界平均は45%)
2実際に好ましくない体験をした子供の割合                    19%(14カ国中最低、世界平均は 62%)
3)感想

1:「好ましくない体験」は、同日公表された「ノートンオンラインファミリー」のデモから見て、「JTのサイトを見た(タバコだから)」「親の知らない人にメールした」など、幅広い行動を含む可能性がある。
2:実際に好ましくない体験をした子供の割合が14カ国中最低な点も要注意。つかむしろ世界平均62%の方にビビった。19%は少ない率ではない。しかし62%とは異なる。上記の表は、下から読めば「日本のイソターネット環境は世界一あんしん」とも取れる。この場合「日本の保護者が子どものオンライン行動に世界で最も無関心」なのは、自然だろう。
3:とはいえこの調査、「ケータイ先進国日本の事情」は、あんましカウントしてないんじゃないかな。

4)脱線:好ましいと好ましくないの境界線は多岐にわたる。

グローバル・スタンダード

  • 「親の許容範囲」は、文化圏により異なる(文化圏プレイスシフト)。世代や時代背景によっても異なる(時流タイムシフト)。
  • もしもこれらを一律にグローバル・スタンダードに収束させようとするなら、我々は、「鹿鳴館の猿」になる(「民芸」というコンセプトを編み出す可能性も消える)。

【好ましいと好ましくないの間】

犯罪を犯す

犯罪被害に合う

好ましくない体験をする

好ましくない体験をしない。
  • 甲の境界は、一見厳密な見極めが可能に見えて、時に曖昧である(加害者と被害者のカベ)。
  • 乙の境界は、厳密な見極めが難しい(犯罪と予備軍のカベ(加被害とも))。
  • 丙の境界は、「個体差」で左右される度合いが最も大きい(好ましいと好ましくないの間)。

さらに甲乙丙の境界は、文化圏プレイスシフト、時流タイムシフトの影響を受ける。甲への影響は相対的に小さい(例えば傷害罪の構成要件は、国や時代が違ってもそう大きくは違わない)が、乙、丙と下るに従って大きくなる。したがって丙境界はもっともコントラバーシィなものだ。ここに立法や行政が踏み込むと、袋だたきありがち。
【「そうはいっても常識的な線が論法」について】

表現の自由は確かに大切ですが、明らかにひどい表現は規制するべきでしょう」と、衆議院議員(当時)の柿沢弘治が発言したときの竹中の怒りはすさまじく、「小僧、表に出ろ!」と怒鳴りつけたかと思うと、「その表現を“ひどい”と誰が決めるんだ? たとえ“馬の糞”であろうが表現は自由なんだ!」と叫んだのでした。

好ましくない体験、すなわち、常識や良識の線から外れた経験を持たずに成長した者は、常識や良識を知る事はできない。

学者か役人か売文家でもない限り、多くの人は、きれいごとで食っていく事はできない。程度の差はあれ、どこかで常識や良識と折り合いをつける必要がある。折り合いをつける為には、まず常識や良識を知る必要があるw。食うだけなら「てきとー」でもかまわないが、可能な限り高いレベルで「適当」である為には、より深く常識や良識を知っている必要がある。

望むらくは、子供の時分から、自分のアタマで考えさせ、自己主張をさせた方が良い。

ロ)「ノートンオンラインファミリー」は、単純な監視や禁止のソフトではない。

  • 同ソフトの特徴は、「子供が親に対して“主張”するための機能を備えていること」
  • 閲覧しようとしたWebサイトが「アクセス禁止」に設定されていた場合、子供は親に同ソフトを介して閲覧したい理由を伝え、アクセス許可を求めることができる。子供からのコメントは電子メールで親に届く。
  • 「子供のインターネット利用をただ制限するのではなく、親子で話し合いながら積極的にインターネットを活用するためのソフト。親が知らないうちにオンライン上で好ましくない体験をしないように見守ることができる」

62%は世界平均なのですよ、てのはともかく。この基本姿勢は「好ましい」と思う。

ハ)デモの委細

以下から抜粋。

シナリオ1)パパの会社のサイトが見たい!→パパは「日本たばこ産業の人」だったのです!
  1. 制限カテゴリにタバコのチェックが入っていると、「このサイトを見ることは、きん止されています」。
  2. 子どもは、そのWebサイトを閲覧したい理由をブラウザ上で書き込み、保護者に対して解除要請が行える。
  3. 「お父さんが働いている会社のサイトを見たいからみさせて!」というメッセージを書き込み、
  4. 登録した保護者のメールアドレスにその要求が瞬時に転送される。

JT禁止て、どんなグローバルスタンダードやねんという気もするが、諸外国ではそうなんだろう。また子供のありようも異なる。

シナリオ2)学校で知り合った友だちと初めてインスタントメッセンジャーで会話をする場合
  1. 子どもはノートンオンラインファミリーで登録していないアカウントにメッセージを送信することはできず、警告が表示される。
  2. 親に対して解除要請を送ることが可能(「隣のクラスのたかしくんだよ! このまえママもあったでしょ!」)
  3. 親は、その理由が妥当だと判断したらすぐに通信を許可できる。

※ぶっちゃけ国内だと「こんなんぢゃ友達できないよ!」言い出して親が折れちまうケースの方が多い気はするが、諸外国ではこういうものなんだろう。

実効性の面で違和感は残るものの、どちらのシナリオも、単純な「禁止のための監視」ではなく、「育児へのコミットメントを扶ける」というスタンスが伺える。aka.親子の対話。aka.参加型家族w。これはペアレンタル・コントロールとかフィルタリングとかいうよりは、FNS(ファミリー・ネットワーキング・サービス)とか言い張るべきな希ガス

二)同ソフトの発表会で登壇したネット教育アナリスト・尾花紀子氏の発言

勘違いのない使い方、活用法を広めてほしい

また、ネット教育アナリストの尾花紀子氏は、ペアレンタルコントロールソフトについて「勘違いのない使い方、活用法を広めてほしい」と訴えた。すなわち、裏でこっそり監視し、不適切なサイトにアクセスしたからといってやみくもにしかったり、あるいはインターネットの利用を禁止してしまうのでは意味がなく、結局は友人宅のPCや携帯電話など隠れて使うようになるだけだと指摘。逆に、子供が不適切なサイトを閲覧しようとした時に、なぜいけないのかを話し合うなど、親子のコミュニケーションをとりながら、子供を危険から保護し、インターネットを安全に使うためのアプローチをとっていくことが必要だとした。

※尾花氏自身は『※“監視ではダメ” とお話ししたのにタイトルが…(T_T)』と嘆いておられる。

「禁止」から「家族で話そう」へ

発表会では、ネット教育アナリストの尾花紀子氏も登壇。ネット教育に関する国の施策が大きく変わろうとしている現状について説明した。従来は、危険性回避のため子どものネット利用を制限しようとする方針が採られていたが、今は「ネットの利用について家族で話そう、そして賢く使おう、という方向性に変わっている」(尾花氏)。家庭内できちんと利用のルールを決めること、そして常にそのルールについて話し合いを続け、必要に応じて変えていくことが重要だと訴えた。

こうした姿勢は、単純なケータイ所持禁止やネット規制法や天下りのすくつと化しがちなサイバーパトロールの類いよりは「好ましい」だろう。

「親がアテにならないから行政が」「ITがわからないから行政が」は、「家族の紐」を崩壊に導く。親の側も、子供のしつけを行政に「おまかせ」するようでは、おまかせ民主主義どころではない。

難儀にして正解が無く面倒な話ではあるのだけども(正論てめんどくさいのよね)。

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平和を欲するなら戦いに備えねばならないw。ってナニと戦うんだ。ああ、ネットの闇(19%)か。ケータイに対する不安はもうちょっと多いかも知れないが、それにしても。
「社会」の方にSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)があり、mixiだのモバゲーだのプロフだの裏サイトだのが怖いってんなら、家族の方もFNS(ファミリー・ネットワーキング・サービス)で対抗すべきだろう。
んでカラオケつけてFNS歌謡祭いいはる。

ゲーム脳戦争における任天堂は言論には依らず、黙々と「家族の誰からも嫌われないゲーム」を模索した。その成果は多岐にわたる。