メモ:「放送」は、もともと「通信」から「送信」を削っただけのもの。「混信」がないなら、そのぶん存在意義は減る。

自分は「報道番組の社会的な意義」や「娯楽番組の文化的価値」は、「在る」と思っています。しかしながら。それは、ある技術的な限界の上に成立した、わりとハカナイものとも思っています。

「技術」の定義の一つに「自然の原理を応用する事で、人間社会の利益を増すもの」というのがあるそうですが、その意味では、もはや「放送」には特段の存在意義がありません。「放送」は、技術革新が生んだ「無線通信」から、「限りある電波帯域とアナログ無線技術の限界問題」を治めるべく「送信」を省いた、政治的イノベーション*1が生んだ産業種だからです。

今日、「限りある電波帯域」の「限られ度」は、デジタル無線技術〜手許では、"省デンパ技術"と理解しています〜の進展により、かなりのゆとりちゃんになっています。「われわれ」の掌上には、「100年前に・混信問題を解決するための法規制で・手放さざるを得なかった機能」が乗っています。4字で言うと「無線送信」です。これは「自然の原理を応用する事で、人間社会の利益を増すナニカ」が「限りある電波帯域とアナログ無線技術の限界問題」を突破した結果です。

で、あるならば、あたらしい問題が浮上せざるを得ません。「限りある電波帯域に、放送産業が占めている割合」の問題です。これは、政治的に解決されなければなりません。もともと「政治的に配分された天然資源の問題」だからです。「望み得る最善の配分」が、100年前と変化したからです。

万人が通信技術の恩恵に浴すと電波帯域が不足し、混信だらけで却ってデンパの利活用を妨げるなら、政治的な整理が必要です。一部の人に送信オンリーを委ね、その他大多数に受信オンリーを強いるのが望み得る最善!という判断は、100年前なら極めて合理的だったと思います。しかしながら、ソレを万人が通信技術の恩恵に浴せるようになっても続ける事には、民主的な合理性がありません。

ひらたく言うと、デジタル無線技術とは、「放送に立ち退きを迫るもの」だと思います。

てゆうかホレ。アナウンサーに「おはようございます」言われたら挨拶返すでしょ?すげぇ映画みたら拍手するでしょ?したくならない?…それわ、不自然な事なのよなのよなのよ(エコー)。
■年表

1895年 ポポフ(露)、無線電信を発明(クロンシュタット海軍兵学校の物理学教授。クロンシュタットはバルチック艦隊の母港)
1901年 マルコーニ(伊)、大西洋横断無線電信に成功。
1902年 フェッセンデン(米)、電波に音声を乗せる実験に成功
1903年 帝国海軍、三六式無線機(モールス信号)を採用。日本海海戦までに仮装巡洋艦も含む駆逐艦以上全艦艇に装備(秋山真之の再三の上申に依る)。
1905年 日本海海戦バルチック艦隊は無線機の配備・活用に遅れを取っていた)
1906年 フェッセンデン(米)、航行中の船舶に対して音楽及び音声の送信に成功
1912年 タイタニック沈没の一因として、無線の混線が挙げられる。
Radio Act of 1912(米)、船舶無線の義務化とアマチュア無線の規制。
1914年から1918年 WW1。無線通信が使われだす。戦後、退役した通信兵が軸となって、イロイロやりはじめる。
1920年 世界初の商業ラジオ局・KDKA(米)「放送」の始祖鳥。
1922年 BBC、設立(放送の国家独占)。
1926年 FRC(米連邦無線委員会)、後のFCC(1934,米連邦通信委員会)。
社団法人日本放送協会、設立(放送の国家独占)。

20世紀初頭に実用化された「電波の活用」は、船舶電話や軍用無線などの「通信」からスタートした。しかしながらソレ以来、混信・混線の問題は、常に頭痛の種であり続けた。無線技術の価値を理解し利活用する事では、それを発明したロシア海軍より帝国海軍の方が早かった。以後船舶無線は急速に普及したが、混信によりタイタニックは氷山への警告を聞き逃した。

10年代。WW1でズガンと育成された通信兵が社会復帰すると、好き勝手に無線機を組み立てておしゃべりを楽しむ者が増えた。その才覚で職を得る者もあれば、自ら無線機の製造販売で財をなす者もあったろう。中には、音楽をかけたり、ジョークを言い続ける者もあったのではないかと思う。ひとつには、自分の人気を得るために(UGC)。もうひとつは「ファミコン売るにはマリオが必要」だからだ。

こうした無線の民間利用が進むに連れて、地上でも混信問題が増えて行ったと思われる。特に北米では、実際に軍用通信に割り込んでウソ命令を出す悪戯も問題になったようだ。心ある人は「ラジオの闇」を嘆いたに違いない。こうなってくると「無線機会社」は伸びしろが薄い。航海や航空の安全にも関わる。

電波帯域というのは有限だ。より多くの人が電波を発すれば、それだけ混み合う。混信も起きる。どこかで整理をつけねばならない。しかし「無線技術の恩恵」はなるたけみんなが受け取れる方が良い。問題があるからと言って、あたらしい産業を潰す理由もない。

20年代に日英で設立された放送局(BBCNHK)は、いずれも「放送の国家独占」を志向している*2。電波帯域と放送局は国家が管理し、民間は受信機をたくさん売れば、技術が上がり工業が伸び雇用も増える!それが最大多数の最大幸福!という理屈だ。米国は、電波帯域は国家機関が管理するが放送局は認可制、という方式をとった。これは「受信機をたくさん売りたい会社が、自ら放送局を手がける」という「ファミコンとマリオモデル」を生んだ。

サクヒンビジネスという切り口で言えば、これらは「創る者と創らざる者の分離」と言える。共産主義っぽく言えば、「人間」が「生産資本」を奪われ「資本家」と「消費者/労働者」に分離されていったその時期に、ワレワレわぁ!「表現資本」を奪われぇ!「表現者」とぉ!「視聴者」にぃ!分断されてぇ!いったのだぁ!とかなんとか言える。しかし天然資源の配分という事なら。「限りある電波帯域とアナログ無線技術の問題を政治的に解決した」に過ぎない。

先述の通り、「無線通信の誕生」と「放送の始祖鳥」の間には、20年ほどのタイムラグがある。この間には「混信問題」が詰まっている。1920年頃を境に政治による電波利用の統制が本格化しているが、その最たるものが「放送」である。したがって「放送」とは、(イ)混信問題を避けて無線技術を活用する為に(ロ)通信技術から送信を省いて、受信のみとする、(ハ)妥協策=当該時点に於いて望み得る最善。と思われる。別の言い方をすると「限りある電波帯域という天然資源の恩恵を、能う限り公共の利益に資さしむるべく、無線技術の本性にタガを嵌めた状態」だ。イカ娘っぽく言うと「みんなが送受信はできないけど、受信はできる。それで楽しく遊ぶ方法を考えようぢゃなイカ!」だ。

仮に。「放送」が、我々の社会になんらかのイノベーションをもたらしたとすれば。ゲンミツにはそれは「テクノロジー」がもたらしたものではない。この公益配分の意思決定(aka.政治)がもたらしたものだ。

しかしながら。いつまでもタガを嵌められっぱなしで諒とする「テクノロジー」さんではない。10Q4現在の今日、「限りある電波帯域の限られ度」は、デジタル無線技術の進展により、大きく緩和されている。我々は「今迄より遥かに少ない電波帯域で、混信する事なく、大量の情報をやりとりする技術」を手にしている。これは、「放送」の存在意義を、足許から崩すイノベーション*3と言える。この事は、公益配分の意思決定(aka.政治)に基幹的な見直しを迫る。

「放送」は、「政治における破壊的イノベーション」に直面するだろう。

政治屋(ポリティシャン)ではなく政治家(ステーツマン)なら、そこに気づいている筈だ。文理いぜんに学者(Seeker of the truth)であるなら、そこに気づいている筈だ。モノツクリ教徒であるより商売人であるなら、気づいてなければちとマズイ。前例踏襲主義や既得権益〜電波利権、モノツク利権、著作利権、そして、視聴者の私的録音録画利権〜に鼻面を引き回されていては、バスに乗り遅れる。問題は、いつ・どこで・どのように・ソフトランディングさせるか、だろう。

*1:手許では、その後の産業構造や社会制度のありようを規定するものは、政策であれ哲学であれイノベーション(革新・刷新)と看做します。イノベーション=技術革新とは考えていません。

*2:社団法人日本放送協会は、放送会社設立の意向を持っていたが新聞社と政府の出資を受けて設立された国策法人

*3:イノベーション=技術革新と、等号で結ぶべきではない。それは1950年代に経済官僚が編み出した意図的な誤訳の無造作な踏襲に過ぎない。またそのミームの有効性は、50年代当時とは大きく異なっている。