緊急記者会見
浜岡の危険度や、超東海大地震の危険度が、どのくらいあるのか自分は知らない。
危険だと言う人は「も・すんごいの!そんな事言ってる場合ぢゃないの!」と言うだろうし、自分もどちらかと言えば止めてくんねぇかという方向なのだけど、周囲には「突然の計画停電で仕事がえっらい目になった方」も少なくない。また電力会社や地元にだって言い分というものがあるだろう。
明日来るのかも知れないし、30年後かもしれない、というのなら、せめて「リスクをとって、この夏一杯は動かす」でもよかったんぢゃないの?と思う。来月の給料が止まるってもんでもない人にとっちゃ、そんなリスクはとんでもない事なのかも知れないが、納期を心配する町工場の人や、雇い止めの心配の絶えない派遣の人などにとっては、生存権に直結する問題でもある。
正直。あの緊急記者会見は、こうした事どもを熟慮したものには見えなかった。唐突で、GDN(グロス・ドメスティック・納得度)を下げる政治に見えた。イ)予測スパンが30年以内と切迫感の「演出」が弱く、ロ)停止後の需給プランに具体性を欠く点で安心感が薄く、ハ)今それで喰ってる人らに対する配慮が見られない点で石原慎太郎臭い。と思った。
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日本で「政治的になにかを締め上げる」には、3通りのやり方があるかと思う。
- 法的根拠のない超法規的な"要請"は、石原式衆愚ファシズムのリスクがある。
- 官僚主導式行政指導で"じわじわ"は、ひみつの匂いがする。
- 脱原発法案などを用意の上で「小泉流単一争点解散」をやるのが、今のところ最も「マシ」に思える。
- 1番の非合法性、2番の曖昧さ、などの諸症状が緩和される。
- 「原発解散→総選挙」の過程に於いて、1番同様の「空気に流される衆愚性」は不可避だが、2番の持つ「検討すべき事項を全てテーブルの上に検討機能」に「衆知」が参加できる。
- ただし、東北がいまそれどころではない。
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原発については、自分は無い方が良いと思っている。が、移行準備の時間もなく消えてなくなれとまで言うつもりは無い。それでは天災*2と変らないではないか。