イ.日本型モチアイ・メディアのしくみ

〜あるいは「持ちつ持たれつ・オーナーシップ」について

上段が「中央モチアイ」、下段が「県域モチアイ」。

米国では新聞社がテレビ局を持つような事を「クロスメディア・オーナーシップ」と呼んで忌み嫌うのだけど、「日本のマスコミ」は、全国紙、地方紙、キー局、地方局がダマになって株を持ち合う「持ちつ持たれつ・オーナーシップ」になっている。以下長いので「日本型モチアイメディア」でひとつ。

要するに古典的な家電やクルマとよく似た、終身雇用・ケイレツ・モチアイ構造(終身ケツモチ構造)の亜種ですが、フジとテレ朝の違いは、見てすぐ判るというもんではないので、イメージしにくいのが難点です。

イの1)ヨアニサマ:日本型モチアイ・メディアの中心

「日本型モチアイメディア」の中核となるのは「日本型全国紙+在京キー局」からなる「中央モチアイ」です。拡大すると、ここは読売〜毎日までの大手5グループからなっています。なにやら邦画全盛期の五社協定みたようですが、ここではそれぞれのカシラ文字をとって「よあにさま」とする。ことにします。

クロスオーナーシップ (メディア) / 現在の資本関係- Wikipediaによると;

だ・そうですが、全国紙、地方紙、ラジオ局、キー局、地方局といったメディア産業の他にも、球団やら芸能事務所やら映画会社やらが入り乱れてワケワカメな感じです。

「よあにさま」を中心線とする国内マスコミの資本構造をパターン別に整理すると、

  • 1)子会社や関連会社、取引先などを経由する多段的な持株関係。
  • 2)キー局と地方局などのジャンル内ヒエラルキーくさい持株関係。
  • 3)全国紙と地方局、キー局と地方ラジオのようなインターメディア的出資関係。

などが入り乱れる複雑なモチアイ相関図が描けそうです。中心も様々で、全国紙をフリダシにキー局→地方局→地方紙と接続してゆくデイジーチェーン型や、ここ10年ばかりは持株会社を中心に新聞やTV局がぶら下がるスター型も増えています。多くは両者の複合型ですが、、、ひらたく言やぁ「うるわしきキンタマの握り合い」ってヤツでしょう。

一方で、毎日←→TBSのように、資本関係を解消していながら、役員の相互派遣は継続するなど、人的な紐帯(aka.癒着談合体質)を残すケースもあります。さらには朝日や日経のように、最終的に株主だれなんだと突き詰めると「創業家と従業員持株会の会社」としかいいようの無いものも存在します。こうなると「創業家をカシラに頂く従業員の生活協同組合」とか、あるいは中世のフィレンツェベネツィアや堺や比叡山のような「都市国家」という気もしないではありません。そういやお家騒動とかやってますわな。タマに。

いずれにせよ我々は、「明白な中枢を持たない5系統の、ゆるやかなメディア寡占」の中に居るようです。ところで「世兄様」と漢字にすると「世間の空気を形成するお兄様」のようだと思った。いま。

参考

イの2)一県一紙と一県一波:日本型モチアイ・メディアのれきし

恐らく。これは歴史的経緯によるものでしょう。ちと長くなりますが、左の縦わくが一県一紙、右の縦わくが一県一波。

一県一紙(40年体制)

1940年頃までに成立した挙国一致体制は、全国に無数にあった「有偏有党の新聞社」を、「不偏不党の全国紙」と「地元密着一県一紙」に整理した。言論統制の為とも紙資源節約の為とも言うが、過当競争から記者さんらの生活を守り、各県域に均衡ある報道産業が育つ条件を整え、あわせて報道の質的向上を企図した「産業構造のリストラクチャ」でもあったように思われる。なにやら大きなお世話な気もするが、とりあえず「記者稼業のくらしむきは安定」したようだ。

大陸の風雲が急を告げゆくこの時代。都市部に割拠する大新聞は、社用機と軍あがりのエースパイロットを駆使して「チキチキ!戦地の写真猛レース!!」を展開していた。一県一紙にそのチカラはなかったが、しかし舗装道路はおろかトラックすら珍しい時代の事だ。大手紙の側にも全国津々浦々に紙面を配達するまでのチカラはなかった。そこで彼らは全国の駅頭に「写真ニュース」を掲示して自社の宣伝(と、地元出身者の武勲おしらせ)に努めた。これは今日でも学校の掲示板などに残っているようだ(参考http://www.asahi-photonews.com/fromus/index.html)。

〜ここでは戦前戦後の区分は邪魔なのですっとばして〜

一県一波(角栄用水)

敗戦を経ても強力な行政指導体制は残存した。実は戦前の体制とは、戦争遂行の為である以前に、官僚主導で工業化を進めてゆく計画経済体制でもあったのだ。

50年代にさしかかると、日本でもテレビ放送の機運が高まってくる。これを受けた田中角栄率いる旧郵政省は、免許方針に「一県一波」を掲げて臨み、全国に「均衡あるテレビ局の発展」が立つよう目論んだ。

駄菓子菓子。新時代の報道などと気張ったところで、そんな情報商材に長けていたのはブンヤさんしかない。かくしてキー局は大新聞、地方局は地元紙の資本で設立される事になった。

ところがぎっちょん。全県にテレビ局を設けたところで、情報の東京一極集中がなくなるわけでもない。角栄さんが首相になって、東京のオカネを地方に流す用水路を整備(所得倍増計画の恩恵を全国に格差是正)するのは70年代に入ってから。かくして地方局は、キー局からニュース配信を受ける「全国ネット」に組み込まれ、都市部大新聞のニュースを全国津々浦々にデンパしてゆく事になった。

なにしろ日本型全国紙の発行部数は世界一です。コレに比肩する部数は旧ソ連プラウダくらいのモンだったそうで。いやはやなんとも誇らしい事ですな。たばりしち(同志)w。

国産娯楽番組の始祖鳥

ちなみに。国産娯楽番組が立ち上がるのもう少し先になる。もちろん黒柳徹子さんや手塚治虫さんのような好奇心の鎌足は既にこの頃から全力突撃しているが(徹子△)、娯楽はまずは米国からの輸入が主だった。これならば教養のため、教育のためと言い張れない事もない。今日では考え難いが、世間的にはまだまだコーキョーのデムパを娯楽に費消するなど恐れ多かったようだ。1964年になっても「広告を流さぬ科学教育専門テレビ」が生まれている(ちなみに…後のテレ東である(o;゚Д゚)!!)。

イの3)記クラ芸とデンパキチ:日本型モチアイ・メディアの水源



報道は記クラ芸ライン

左のシカケは、「政官財業報のピラミッド」。「政官財・鉄の三角形」とか「政官業・鉄の三角形」とか呼ばれるモンを貼りあわせて見た。頂点に「記者クラブ」が乗っている。いわゆる「ニュース」の多くは、この記者クラブが「問屋」になっている。

これらのクラブは、11Q3現在でも基本的には「日本型モチアイ・メンバーズカード」がないと入れて貰えない。この閉鎖性は、戦時統制の一環として生まれたものだが、なぜか戦後も残っている。そもそも記者発表やぶらさがりなんぞは「取材」とは言えないし、こんなシカケはノッケからスピンが掛かるに決まってるのだが、どうも原発事故を奇貨として、一層防備を固めたらしい。この結果。日本の報道は「親分!てぇへんだ!てぇへんだ!」が多く、「慌てるなぃハチ!」が少ない。

ハチの仕事は情報の伝達。英語で言うとインフォメーション。親分の仕事は情報の吟味。南蛮ではインテリジェンスと言う。ハチだけでは、かけてもつれたナゾが解けない。親分だけでは、かけてもつれたナゾが無い。

娯楽はデンパキチ

背景緑は娯楽番組。「デンパク→キー局→地方局」。みっつまとめて「デンパキチ」。大手広告代理店+キー局+地方局の統合体だ。電通の調べでは、最盛期には日本のTVCM市場は年間2兆を超えていたと言う。カネも情報も東京一極集中が変わらぬ限り、こーなるのが自然だろう。

民放の「全国ネット」は、元来はニュース映像を全国で融通し合う互助会だったが、皇太子ご成婚や東京五輪大阪万博など、華やかなイベント中継が人気を集める中で、徐々に「ここに娯楽番組のせてもいいよね?」という「世間様の空気」ができていった。

デンパキチの水源は、図の上段の「所得倍増でめぐまれた人々」。60年代を通じて「めぐまれた人々」の所得は倍増していった。デンパキチはソレ自体が「所得倍増から残された人々にオカネを回す用水路」でもある。ここに水を流すとあら不思議。内需が拡大するざんす。70年代を通じて「残された人々」もまた豊かになっていた。

このデンパキチが日々の娯楽の主役となった結果。日本の映像産業は「視聴率イノチの広告放送」が主流となり、視聴者は「良い番組は、カネを払って見るものだ」という生活習慣病を失って行った。

イの4)日本型モチアイメディアの利点と弊害

日本型モチアイメディア(世兄様)の利点

日本でデモや暴動が少ない理由を「お上意識」に求める風がありますが、戦後でも成田闘争や60年安保は存在しますし、戦前では普通選挙運動に米騒動や日比谷焼討、さらに遡れば秩父事件(地元では「秩父戦争」、古い人は「秩父のいくさ」と言います)というものもあります。

こうした政治的な大騒動が絶えたのは、1970年代以降の事に過ぎません。「馴致・宣撫・統治のどうぐ」と考えると〜つまり「お上の側から考えると」〜日本型モチアイ・メディアの威力は、結構なものだと思います。昭和31年度 年次経済報告には『長期的には中小企業、労働、農業などの各部面が抱く諸矛盾は経済の発展によってのみ吸収される。』とありますが、ソレで吸収できてる限りは、あまり大きな問題はおきないでしょう。

日本型モチアイメディア(世兄様)の弊害

一方で、"あの"産経新聞ですら「フジ韓流問題」を報じないというのはいささか奇異なものがあります。基本的には別に見なきゃイイだけの話ですし、大したネタでもないんぢゃないとは思いますが、

  • 新聞がテレビを批判すること、あるいはその逆のようなことを発言することに及び腰である[13]。
  • 新聞の腐敗、あるいはテレビの腐敗を報道しない、一種の情報操作の原因である。本来は再販問題の利害当事者ではないはずのテレビが再販問題について報じられなくなっているといわれる[1]。
  • 新聞やテレビの改革に関する報道に及び腰である。原口総務大臣外国特派員協会での会見で述べたクロスオーナーシップの禁止に関しても、当事者である新聞やテレビは一切報じていない。
  • テレビ局が新聞社の意向により動かされるなど、中立であるべきメディアが新聞社など上位企業の圧力を受けることになる。
  • メディア業界全体が護送船団方式のシステムとなり新聞以外の資本を持つ新規参入希望者を排除する原因である[14]。
  • ローカル局が地域密着を標榜しても、新聞社・キー局による一方的な支配のため独立性が損なわれており、実例としてフジテレビ『ワンナイR&R』による「王シュレット事件」で地元の福岡県のローカル局であり、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)を応援していた放送局であるテレビ西日本王貞治を侮辱した放送内容について制作には無関係ながら放送したとして連帯責任を問われた。
  • 新聞社が、免許事業で権力の影響を受けやすい放送局を所有することによって、権力の影響を受けやすくなっている[1]。