凶悪事件と厳罰化

凶悪事件と規制の強化(例)。

  1. 07Q4:佐世保乱射事件(http://goo.gl/tIFZy)→ 高まる銃規制強化の声。
  2. 08Q2:秋葉原通り魔事件(http://goo.gl/Pr3UK)→ 高まるナイフ規制強化の声。
  3. 08Q4:銃刀法改正、可決
  4. 09Q1:同、施行
  5. 09Q2:滋賀県警、TV番組で、6秒ほど猟銃を手に取ったタレントさんを事情聴取(http://goo.gl/s6P5j)。
  6. 09Q3:北海道警、カキ産地で、カキの殻むきが銃刀法違反になり得ると警告(http://goo.gl/ebf17)。
  7. 12Q1:宮城県警、被災地で、十徳ナイフを所持していたボランティアさんを取り調べ(http://goo.gl/KyhgH

※凶悪事件の記憶が生々しいうちに規制強化を図ると、地味な誤爆が増える。といって無為無策では不安が長持ちするだけなので、ここは思案のしどころだ。警察に常識はない。つか警察に「実情に即した弾力的な運用」を求める事はできない。やれば「恣意的な捜査」となり「法の支配」が崩れる*1。もしも5~7を問題視するなら、その責任は「吟味不足の国会議事堂」と、「そこに議員を送り込んだ有権者」にある。

てんかん患者と政治と技術と科学の関係

  1. ある者はてんかん患者の選別を唱える。← 潜在リスクの事前排除
  2. 鉄はデッドマンシステムを紹介する(http://goo.gl/NrxlZ)。← 潜在リスクの事前対策(aka.こんなこともあろうかと化)
  3. Googleは「自動車」ゆうなら「自動で走行」すべきと云う(http://goo.gl/vBlvf)。← 属人特性の排除。

※政治は今日、技術は明日、科学はバクチ。といったとこだろうか。今日の安心は目先の対策で得られるが、そこで明日への投資を怠るべきではない。但し。残念ながらお小遣いには限度があるものだw。いくら「クジは引かなきゃ当たらない」といっても「盲目的なパチンコ通い」は、ベーシック・インカムに含めべきではないだろう。趣味的にはバクチと投資を峻別した上で、googleのように「パチンコ代は自腹で稼ぐ」か、戦前の理化学研究所のように「バクチの金はバクチで稼ぐ」が良いと思うのだけど、その選択権は「国権の最高機関*2」と、「そこに選良を送り込んだ有権者」にある。

殺人と復讐感情

「個人の復讐感情」と「社会による制裁」には温度差がある。後者の目的は「社会秩序の保全/再発抑止の一環」であり、前者の満足ではない。前者は「本能の領域」であり、これはいかなる制度でも止めがたいものだ。

自分は此方に「我慢せぇ」と言えるほど立派ではない。しかし「法的・社会的な正当性」を持たせるべきとも思わない。それは復讐スパイラルのトリガーになる。

正義の味方

政治は役に立つ。技術も役に立つ。科学も役に立つが、どれも「正義」とイコールではない。

文字装飾オレ。

「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という理念を持ち、悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、人命は決して奪わない。武器として2丁の自動拳銃を持っているが、もっぱら威嚇と牽制に使い、発砲しても悪人の武器を撃ち落とすためにしか使わない。

ターバンの前面には三日月のシンボルを飾っているが、これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、「今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想、「月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす」との意味が込められている。裏向きの「27日の月」が描かれている図版があるが、誤りである。

この極めて東洋的な正義観は、原作者の川内の実家が日蓮宗の寺だったが影響しているともいわれている。月光仮面の発想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得られたもので、「正義の味方」という言葉自体も、「正義」そのものの神仏への脇役的位置づけを示すものであり、「決して『正義そのもの』ではない」との意味を込めることに川内がこだわったものだった。川内は本人は「正義の助っ人」との表現を好んだという。

アニメやドラマを見ていると、非常事態になったら騒ぎ出して責任を追及する「ヒステリックな市民」というのが出てくるよね?僕はああなりたくない。

*1:とりわけ7番で警察官の方が『運が悪かったと思って、あきらめて』と言ってるのが「野犬に噛まれたと思って」みたいで笑えるが、法治国家である以上やむを得ない。むしろこのお巡りさん自身も「誤爆被害者の一人」かと思う

*2:日本国憲法第41条