感覚的には,むしろ以下のような話のほうが,腑に落ちる.

京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の研究用原子炉KURは、1964年に臨界に達した古い原子炉(熱出力5000kW)です。建設計画時に、予定地が反対運動によって宇治市高槻市四条畷市と変遷し、熊取町での計画についても隣接する泉佐野市を中心に激しい反対運動が起こりましたが、大阪府に平和利用を監視する審議会を設けることなどを条件に建設が認められた経過があります。

文字装飾オレ。

 感覚的には,むしろ以下のような話のほうが,腑に落ちる.
----------------------------
 そのころ〔=京大炉が完成して暫くした頃.引用者注〕,確率論的リスクアセスメント(危険度の評価)という考えが出始めた頃であったが,これについても意見を求められた.
 私は,種種の場合に対応して考える方法の一つとしては否定しないが,私自身は殆ど関心がない,と答えた.
 なぜかというと,タクシーに乗って運転手さんから,
「タクシーの事故は走行何万kmに1回という確率です.
 私はまだその半分です」
と言われて安心するお客さんはいない,と思う.
 それより
「いい加減に運転をする者がいて,その人達のを合わせると,そういう確率になるのでしょうが,私はそういう確率とは関係なく,しっかりと安全を守ります」
と言えることが大切,と述べた.
----------------------------『新原子炉お節介学入門』(柴田俊一著,一宮事務所,2005.3.25),p.278

※「事故の確率なん%」的な議論は、「いい加減に運転をする人達に合わせると,そういう確率になるのでしょうが」ゆわれるレベルの話である事。有体に言えば米国式の「どんなワーカーだろうが大丈夫!」的な考え方(例:マクドナルド)の対極を為す思考回路だが、ウマく接ぎ木すると、日本式のKY訓練などに結実するのかもしれない。

----------------------------
 京大炉建設に際して地元からの条件のうち,安全上の具体的なことより重要視されたのは,原子炉と民家の集落を結ぶ線の中間に,所員の宿舎を建て,家族と共に住む,ということであった.
 事情を理解された結果,194名の所員定数に対して,75という多数の公務員宿舎を割り当てていただいた.
 主な集落が2つの方向にあったので,2つの宿舎群を建設した.
 建設が終わって,地元の町長さんや議員さんたちの視察の際,一番関心を持たれたのはこの宿舎で,
「他の機械は,見ても安全かどうか分からないが,所員宿舎に赤ん坊のオムツが干してあるのを見て安心した」
との言葉をいただいた.
 数十年経って,日本も豊になってくると,早めに広い自宅を取得したいとか,市街地に移りたいという所員が出てきた.
 約束を破る形に成るのは防がなければならない.
 少し制約を緩めて,責任ある役についている者は,なるべく宿舎に留まるか,最低限,町内か隣接市内に住むことを要請した.
 一部に,住居の自由を規定した憲法に違反ではないかという異議が出た.
 では,憲法を優先することにするが,その代わり,役は外して他の人に代えることにする,これは所長の権限であり,責任でもあると伝えた.
 結局,役を代える,という事態にはならなかった.
----------------------------同,p.282-283

※原子炉の安全と住民の信頼確保は、日本国憲法に優先する。これは所長さんのケンリであり,責任でもあるだろう。