メモ:ドイツの脱原発まとめ

ドイツの原発は、1960年代から稼働開始。その後、シーメンスなどを中心に国際熱核融合実験炉(ITER)を主導するなど原子力先進国に成り上がる。

ぐっと下って80年代に盛り上がった反核デモは、当時の若者にとって「大人への通過儀礼」になった。この運動を契機とする「緑の党」は、その後もドイツ国内で勢力を伸ばしてゆき、脱原発や固定価格買い取り制などの旗振り役になってゆく。ドイツにおける固定価格買い取り制度は、早くも1990年には電力供給法の形で成立、2001年の再生可能エネルギー法、2004年の同法改正と地道に発達している(http://goo.gl/lvgo0)。

2001年。Q-Cells AGが太陽電池に乗り出し急速に伸び始め、後にシャープから太陽電池世界一の座を奪う(日本勢は2005年に補助金が一度打ち切られてからはいずれも他国に抜かれ、国内市場も縮小している)。

2002に産業界の激しい抵抗を押し切ったシュレーダー政権(社会民主党 - SPD)が脱原発法を成立させ、当時19基あった原発の順次廃止を決定。

2007時点のドイツは、未だ総発電量の28%を原子力に依存しており、廃すればロシアへのエネルギー輸入依存度がますます上がるという状況。一方でドイツ政府は、原子力助成をほぼ停止しており、シーメンス原子力部門は仏アレバの傘下となり、ITERもフランスに作られることになった。既にSPD脱原発の主導権を取った後のドイツでは、ロビイストも「論理的な主張でも耳を貸してもらえない」と嘆く状況。

2009年秋に誕生したメルケル保守・中道連立政権では(SPDが連立から外れ)、産業界の意向を受け17基ある原発の稼働年数を平均12年間延長することに変更。

2011年3月、メルケル保守・中道連立政権は、1F事故を受けて、旧式原発など8基を3カ月間稼働停止。

2011年5月、メルケル保守・中道連立政権は、2021全原発停止で閣議合意。ただし、自然エネルギーなどへの転換が計画通り進まない場合は3基を22年まで稼働させる「激変緩和措置」を付し、稼働停止中の8基のうち7基を廃炉とし、残り1基は冬場の電力不足に備え再稼働できる状態にしておく。

2011年6月30日、ベルリン。ついに脱原発法が連邦議会で可決された。左翼党を除いたすべての党の議員が団結し、30年来の戦いに終止符を打ったのだ。議決の前に行われた各党代表の演説はそれぞれに象徴的で、外国人である私が見ても、どこか感動的な光景だった。誰の胸にも様々な感慨がこみ上げていたのだと思う。

この時点での「戦力」は、3月までは稼働17基だったものが、稼働9基・予備役1基とほぼ半減。という事になる。

その後

2012年02月(http://goo.gl/nM8Qu

…今多くの人は、ドイツが数週間フランスに電力を輸出したと喜んでいます。しかし2011年全体でみれば、ドイツはフランスに対してかつての電力輸出国から輸入国へと転落しています。都合のいい数字ばかりではなく、事実を見つめるべきです。

…極度の寒波とガス輸送の停滞により、予想を超えた困難に直面しました。…非常に逼迫した状況で、数日間は予備電力に頼らねばなりませんでした。万が一の場合もう後がないわけで、極めて異例な措置でした。

2012年04月(http://goo.gl/EMeSl

Q-Cells AGが政府補助金の削減および中国との競争激化で破産。

かんそう

かなり地道。これに比べると、成り行き任せのエクストリーム脱原発ホルホルする気にはちとなれない。日本の場合、隣に逆張りコマンタレブーは居ないし、おそロガスプロムと陸続きというわけでもない。関-釜送電線や、サハ-稚パイプラインを引くだけでも、30年は見込む話だろう。

しかし。ドイツの総人口は8200万人程度。これで原発19基(02脱原発法当時)で回ってたのであるならぶわぁ。日本の一億に対して50基(1F四天王除く)というのは、いくらなんでもちと多い。現状の「ゼロ」というのは、いかにもリバウンドがキツそうだが、半数の25基くらいなら、無理なくアトミック・ダイエット!言い張れるのではないだろか。これは、定期検査の間隔を現行の1年から米韓なみの2年にもってけば、発電能力の減衰をほぼゼロにとどめた上で達し得る範疇かと思う。

ちなみに。1F事故では、日本固有の密集配置が事故対処をさらに過酷にした面があると言う。半数を間引くだけでも隣組が「ハァーイ!四天王」と化す可能性はちっと減る。つまり「日本の原発の安全性がちと増える」。

もちろん、チェルノ以降の日本の脱原発運動が無意味だったわけではない。彼らがなければ、私たちは現状に倍する数の原発、たとえば「ハァーイ!八部衆」とか、んなカンジの心配をしていた筈だ。

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