カルチャー・ファースト

「文化」はいくつか種類がある。と言っても二つしか浮かばなかった^^;。

  1. 風俗文化
  2. 伝統文化

 後者は保護すべきものだが、前者はそうでもない。
 なぜオレはそう思うのか?
 後者はほっとくとなくなっちゃうから。なくなるとヤだから。
 前者は好きな連中が勝手に支えときゃいいから。消えてなくなるならそれまでのもんだから。

 仮に、前者を後者の試作品/プロトタイプ/なりかけ。とする。「風俗文化として生まれながら、世の中の大多数が「あれは良いものだ」と看做すに至ったものが伝統文化に化ける」とする。西欧流の階級社会の事はしらん。「BDは芸術だがマンガは違う」みたいな区分は肚に落ちてこない*1

 候補:和歌、能、狂言、小説、映画、漫画、アニメ、ゲーム。

  • 和歌:漢文至上主義では表現しきれないナニカの表現として生まれたもの。フンベツのあるオトナの嗜むものではなかった。だーしゃむねー遊び人とされた醍醐天皇の勅命で編まれた古今和歌集は、平安中期の国風文化確立に大きく寄与、古今集の暗唱は平安中期の貴族にとって教養とみなされた。
  • 能・狂言:貴族文化では表現しきれないナニカの表現として生まれたもの。フンベツのある公家の嗜むものではなかった。新興武士階級の教養とされた。
  • 歌舞伎:中世の出雲阿国〜江戸期までちと幅がありすぎて判然としない。江戸期のモノは実際の事件に題を取ったものが人気を博し、たびたび幕府の規制を受けた。心中モノのあとで心中とか増えたから。もちろん、フンベツのあるオトナの嗜むものではなかった。商売を潰しそうな「芝居狂いの若旦那」が登場する落語がいくつかあったような。
  • 小説:江戸時代以来の漢語調テキストでは表現しきれないナニカの表現として生まれたもの。二葉亭四迷夏目漱石がより口語に近い文体を完成。当時急激に成長を見せた「新聞」が「連載小説」を発明し、オンナコドモに人気を博した。も・ち・ろ・ん、フンベツのあるオトナは国家有為の人材の道を誤らせる有害無益の存在と指弾した。
  • 映画:まぁいろいろあった。最盛期が第二次大戦で分断されるのでフクザツ。
  • 漫画:PTAが悪書追放運動を展開し「焼いた」。その後は略。
  • アニメ:80年代中頃〜終盤にかけて「アニメばっかみてると暴力的になる」などの一群があったようだが、不詳。風の谷のナウシカ1984)以前と以後でフンベツのあるオトナの姿勢が大きく変化した模様。
  • ゲーム:ゲーム脳

 マンガ雑誌の発行部数にはかつてほどの勢いはなく、新古書店が漫画家の実入りを削っているが、風俗文化の宿命だ。各地の大学で漫画学部の創設が相次いでいる。一部の漫画家/出版社は文化財としての保護を求め始めている。江戸末期には人気が費えていた歌舞伎が、伝統文化になった過程を数十年かけて辿ることになりそうだが、「物語の入れ物」としては圧倒的に生産コストが安い*2。産業形態は激変してもマンガそのものが消える事はないように思う。描かずにいられない人は喰えようが喰えまいが描く。

 風の谷のナウシカ1984)が、天声人語で褒められたあたりで本格化したアニメの「文化・芸術・教養化」は、BSアニメ夜話のおかげで包囲殲滅戦の段階に入っている。オタク・イズ・デッドは、勝利宣言のようなもんだ。もはや十把一絡げにアニメを腐すヤツもおるまい(内心がどうあれ、フンベツのあるオトナは無教養の烙印を恐れて口を閉ざし、次のイケニエを探し始める)。オカダトシオさんには安心して趣味人に戻って頂きたいモノだってゆうか、ずっとそこに居たかっただけなんだと思う。しかし、産業形態の激変で消えてしまうリスクは高い。「物語の入れ物」としては圧倒的に生産コストが高いのに、現状では回収手段が弱すぎるからだ。現在主流の流通回路(光学ディスクと無料放送)が、そのまま流出源に化けている。流出抑止は重要だが、流通回路の分散、リスクヘッジのほうがより実効性が高い。構造的に資本力に乏しいので、その変革に耐えられるかどうかは不透明だが、手堅い需要が世界中にある事は知覚できる。

 ゲームは難しい。従来型の娯楽と異なり、「ユーザー・エクスペリエンス」を売るものと考えると、非常に面白さを語りにくく、伝わりにくい。いやそれ「玩具」っていわんか。これは創る側でも問題になりがちで、制作チームが大規模化するほど焦点がボケやすい。やっぱ「玩具の企画」っぽい。
 工業革命の前史に、ロシアの噴水宮殿(後背地に水源湖をこさえて敷地全体にゆるい勾配をつけ、地下を配水管と水道と水車と振り子とクランクと歯車でうめつくし、地上はベンチに座ると尻に放水を受ける、みたいな油断ならぬシカケで埋まっている)が出てくる事があるが、もしかしたらそういうもんに終わる可能性ナシとしない。わりと瀬戸際にも見えるんだけど、風俗文化って常に瀬戸際なんだよな。だって風俗だし。

 ひとくちにカルチャー・ファーストっつっても、風俗文化を保護するこたぁねぇよなぁ、と思う。伝統文化に化けるとこまで行くのは、冗談ぢゃねぇ、そんな銭貰うほど落ちぶれちゃいないよ!って連中なんじゃないだろうか。

*1:ハイ・ソサエティと庶民の分離は、それぞれが喜ぶものも混じり合わないらしい。「あんなの芸術ぢゃない」は「あたしはセレブよ」のサインでもあるようだ。意図的か無自覚か知らんが日展(旧帝展)はその猿真似っつうか、、、精神鹿鳴館

*2:創作の苦しみは除外。測れないし、なんでも一緒だし