もうなんか、「みんな星になってしまへ」的な。
いやマジでなんか発動すんのかと思った。
- 「価値あるサクヒン」を無料で放送するからこじれる。
- 東京五輪直後に始めた「未来のTV(ハイビジョン)」をデジタルテレビ(電波の立退き)に被せるからこじれる。
- 国民全部が「良い」とする解はたぶんもうない。
メーカーは機械が売れりゃなんでも良い。権利者なんざ知ったこっちゃない。
放送局は「テレビは放送で見るものです」。映画屋や実演家の都合など知ったこっちゃない。
映画屋はコピーネバーが大原則。映画見るなら金払え。
- 伝統的な鉄則を首尾一貫しているに過ぎない。
- 無料放送に流すのは「映画で商売するならまず客を映画漬けにしなければ」の一環。
- 充分な「映画漬け」が出来上がれば、いやほら元気の出る薬も初回はタダだし(と言うし)。
- デジタルネットワークの時代に、これまで通りの「映画漬け作り」を続ける必要は、必ずしも、無い。
- B-CASがあんなら「録画/コピー」から直に金取りたいハズ。
実演家や作曲家
「消費者の声」が一つにまとまる事は無い。
- 「家族揃ってお茶の間で」はもう無い。
- 「フルスペック・ハイビジョン・パネル」は個室に向かない。ましてケータイに向かない。
- 1440x1080の放送データは「国民の情報インフラ」としてオーバースペック過ぎる。
- 「ハイビジョン」そのものが、高度成長の残りカスなのよ。「大きい事は良い事だ」な団塊世代と画質マニアにしか効かんのよ。
- んで「フルスペック・ハイビジョン・パネル」買った人はE.YAZAWAに「もったいない」言われてその気になるわけよ。吉永佐百合に「これまでのテレビは残像が」言われて浮き足立つわけよ。
- スーパーハイビジョンとか、もうね、大和かと。富岳かと。そこに直れと。「みなさまのNHK」がみなさまの受信料でなにやってんのかと。
国民全部が「良い」とする解はたぶんもうない。
国全体が十二分に豊かになり、この先ナニで喰ってくベェという時期は、既に1970には始まっている。「不確実性の時代」とかいうヤツだ。「独逸より良いカメラ」や「アメリカより良いクルマ」を作れば良い時代は終わってる。そこに磨きを掛けてりゃみんなが豊かになれた時代*2は、とっくの昔に終わってる。
「追いつき追い越せ」は非効率だ。「進め一億火の玉だ」は道を間違ったときのダメージがでかすぎる。つねに「プランB」が必要なのだ。かつてのように絶対安全確実な正解は無い。試行錯誤が要る。無数の試行錯誤が要る。無数の試行錯誤を生み出すには、「中央で」「みんなで」「話し合いで決めて」外れたものを「不正」と呼びハブにする「空気」は、マズい。
300余藩の百家争鳴を作り出さねば、今ある富も失ってしまう。
どれかは成功するだろうし、どれかはしないだろう。末路哀れは覚悟の前だ。彼らの道を拓く上でもB-CAS/コピワン/1080iは撃滅しておかねばならない、、、うちうの果ての果てまで追いつめても地デジを(どっかーん。