たしか、げんしけんのオマケのしおりはフデだった。
「記事は舞台、コメトラ客席、はてぶはテレビの向こう側。 - agehaメモ」を書いた後で、本来、ネガコメ/炎上類は個別具体的な事態、またはその蓄積に即してケースバイケースで考えべきもので、抽象化した議論には大きなリスクが伴うと気づいたのですが(本質的に人間関係のもつれだから)、自分の基本スタンスについてもうちょっと書きます。
世の中に、ネガコメ/炎上類に対する立場は大きく三つ。
- パターンA:そこで心が折れるならそこまで派。
- パターンB:みんなにそれを要求すんのはどうよ派。
- パターンC:別に考えてない派。
数は、たぶんAが一番少ない。Cがサイレント魔女リティ。
自分はたぶん、パターンA。あくまで趣味の問題なので、他人様がどこに所属してても構わないんだけど、ネガコメとか炎上とかの発生自体を、あんま問題だと思ってないです。別にネガコメ大好きというマゾではありませんし*1、火事と喧嘩が大好きな江戸っ子でもありませんが、ネットのおかげで、誰もが簡単に「情報発信」できるようになれば、次の悩みが「ありがちな事」になるのが自然と考えます。
Web2.0は『リバイアさん』
たくさんの励ましのお便りありがとうございます。返事を出したいと思うのですが、時間がなくてすみません。仕事に頑張るのが返事だと思ってくださいね。一方、クソミソの悪口を匿名で送りつけてくる方もいらっしゃいます。そーゆー手紙には「地獄を貴様が呼んでいる。呪われるがよい」と言いながら火をつけたくなるのですが・・・時間がないのにこっちはちゃんと実行してます。うふふ。
椎名高志さんは商売だから笑い取りに走ってるけど、実際には何日もむかむかしてたハズ。趣味のブログでも、PVが上がれば上がるほどこういう目に合う確率はあがる。素人だとなかなかこうは行かず、つい生々しいとこをさらけ出してしまう。実は「誰でも簡単に情報発信できる社会」とは、天下万民が『地獄を貴様が呼んでいる。呪われるがよい』と火をつけたくなる社会でもあるのじゃないでしょうか。もちろん一般的には、ネガポジ半々だと思いますが、ここは『万人の万人に対するネガコメ』ってことで。愛称は『リバイアさん』出酢。
インターネット*3というのは、コミュニケーション・レイヤーの増加です。ゲンミツに「レイヤー」でいいのかしりませんが、対面や電話は1対1。出版や放送は1対N。インターネットはN対N。不特定多数・対・不特定多数。N2機関を個人が持ったのはたぶん史上初です。←コレ大事。
誰でも簡単に「情報発信」できるようになると言う事は、誰でもカウンター情報の的になると言う事です。だって発信してんだから公衆に。見てる自分もみられてるって事は、誰でも簡単に異論反論オブジェクションのマトにできるし、されるって事です。ネットの普及に伴う『ネガコメ・炎上・ココロの折れ』の増加は、不可避だと思ってます。たぶん不可逆。
ここが勝負の分かれ目よ〜ん。
選択肢はパターンAかパターンB。パターンCの人もWeb1.0に留まりでもしない限り、ネットを使う限りはその選択を迫られる日がきっとくると思う。いつ・どこで・どの程度かは、その人が、いつ・どこで・なにを、どんなふうに書くかに依るにしても。です。
デリケートなボクちゃんとしては、ネガコメより、テメーで吐いたネガコメカウンターのほうが問題。後から読み返すとちょーくだらねーし、たぶん他人が読んでも面白く無い。『記事は舞台、コメトラ客席、はてぶはテレビの向こう側。』というのは、自分なりのATフィールドです。こいつぁシステム的な防波堤より強ぇぜ。盤石ではありません。強すぎっとシンちゃんになりそうだぜ。
ですから自分も、ああこら凌ぎきれんわと思ったらブロックすると思います。まだ使った事はありませんが、パターンBを否定するつもりはないです。ただし、それをプライマリに置くのはヤダ。なんか負けな気がするから。ナニにってんでなくてタマシイ的に。
なぜならば、公開で記事吐く以上「レスポンス動機(吐いたツバ呑まんとけよゴルァ!)」は常にどこかで発生しているわけで、どんなブロックであれ、いつかかならずなんらかの手段で乗り越えてくるのがN2機関の本性だと思っているからです。ブロック自体が「ネガコメ叩き付けてやりてぇ圧力」を加圧すると思っているからです。それがどういうカタチで吹き出すかは予測できませんが、誰だってテレビ見て「だっ、そこでゴール決めろよなにやってんだ!」とか言う場所を欲しているのです。
自分は「テレビの向こう側」の可視化(ビジュアライズ)が、ネガコメ/炎上類の原因とは思っていません。単に発動したてのレベル7サイコメトラーがハイになったようなものであり、上手く成長させべきものと思っています。むしろそれ自体はN2機関のかけがえのない長所の一つだと思ってます。さらに「これまで見えなかったもの」や「見なくて済んだもの」は、実はこれまでの世界でもほんとうは「見えるべきだったもの/配慮すべきだった事」だとも思ってます。なお、ネガコメよこす人や炎上に参加する人達の人間性や倫理観が特にどうとは思ってません。人間なんてそんなもんだと思ってます。
もし自分にネガコメや炎上が起きたとしても、自分はその事自体は問題視しないと思います。もちろん気は滅入るでしょうし、やり返す事もあるでしょうが、結局のところ、それはオレが投げた石の波紋だからです。
べき論ではなく、あくまで趣味の問題なので、他人様がナニ派だろうと気にしませんが、自我の健全性を維持する上で「自分を否定される事」はある程度不可欠の栄養素と考えています。絶えてその経験を持った事のない存在を世間がどう見るかは「マスゴミ」というコトバが端的にしめしています。