なぜ、カレラは週刊化なんてやろうと思ったんだ?

  • 1959:マガジン。3月創刊、20.5万部。
  • 1959;サンデー。3月創刊、部数不詳。
  • 1964:東京五輪、新幹線。
  • 1968:ジャンプ。7月創刊、10.5万部。12月に24.5万部。隔週刊。
  • 同:GNP世界第二位
  • 1969:チャンピオン。3月創刊、部数不詳(1972で24万部)。

 この十年間は、1955〜1973の18年間におよぶ高度成長期の中央にあたる。
1970が大阪万博で、1971がニクソン・ショックだったりすんので、経済学的な分類はともかく、もっとも高度成長「っぽい空気」に包まれた10年間だったのではにゃいか。1955だとまだ「やっと暮らし向きが戦前並みになったね〜」みたいな感じだろうし。

 マガジン・サンデーを「時代の変化にいち早く対応!組」とすると、ジャンプ・チャンピオンは「バスに乗り遅れるな!組」、みたいな。

 してみると、「週刊誌」という「容れ物の見直し」は、90年代終盤のバブル始末期には考え始めても良かったのかもしれない。

 もちろん、人気商売だからナカミ第一だけど、それだけに、ここ10年の「全体的な落ち込みの原因」は見えにくい。でもたぶんネットの所為じゃない。ゲームとも違う。

 週刊化なんて、どこでどうやって思いついたんだ?