『新・吼えろペン』最終回の感想

 一見パクリ肯定とも取れる終わり方でスッキリしない。という感想をどこかで見たので読んでみた。このへんは単行本で読む派なので、見当違いの可能性も高いのだけど、以下のような気分をマンガで語ったのかもしれないと思った。

島本:、、、でもさ、『ヤマト』とか『ザンボット』とか、若い頃に影響受けた作品というのは、いつまでたっても自分は追い越せないんだよね。
 
庵野:追い越せないね。
 
島本:技術的には、はたから見たら追い越してるように見えるかもしれないんだけど、自分の中ではずっとそれは追い越せないでいるんですよね。永遠にね。『あしたのジョー』でいえば矢吹丈にとっての力石。そういう自分の前に必ず光ってるものがあって、それを完全に自分が追い越したと思えば別かもしれないけど、あるいは絶対届かないと思えば別かもしれないけど、いつかそれを超えてやるというのはあるよね。

 これに対して庵野カントクは、「自分の感性の原点だからそれは勝てない」と認めた上で、それでも、それらのサクヒンを「ワクワクして見ていた感覚をベースにものを作っていきたい」とまとめている。流石パクりの名手。流石「オリジナリティの呪縛」を突き抜けたオトコ

 もともと学生時代の『庵野ウルトラ』にしてから「ある意味シャレになってない」ものだったようだし、プロになってからも『トップを狙え!』では先輩から「ああいう事はやっちゃいかん」と説教くらった事があるみたいだし、『新世紀エヴァンゲリオン』でも、あの場面は「アレ」でしょ?みたいのがいっぱいあるのだそうな。

 こういう「素直過ぎる感覚」〜〜旧世代からは「パクリ」と呼ばれ、俗物からは「アノ場面はアレでしょ?うふふ」と囁かれ、元ネタを知らぬ後続世代には「うわナニコレおもすれ〜!」と言わせる感覚〜〜は、クエンティン・タランティーノ(1963生)や、ティム・バートン(1958生)と、少し似ているかもしれない。

 ちなみに庵野カントク1960生。TVの放送開始は、日本が1953米国が1931とズレがあるが、「戦後、テレビがもっとも身近な娯楽になった頃にモノゴコロがついた世代」というタグで括っても、あながちマチガイではないように思う。

 もうね、『エド・ウッド』なんかね。胸がきゅうっと鳴りますよバートン少年の愛の深さに*1、、、はい〜ここでお時間ですね。マた来週お会いしましょうね?それではみなさん、サイナラ?サイナラ?サイナラ?、、、ってところで話がそれてる事に気づくオレ(淀川さんありがとう!)

 仮にこの3人(アンノさん、タラちゃん、ティム様)を「オレらにはこの道しか無い」的な覚悟完了型/無自覚無邪気型確信犯とすると、島本さんは少し毛色が違うタイプかもしんない。

 もし彼が「光るものを追いかけている」なかで、ときおり「オレはどれだけ近づけたのか?」と自問する事があるのなら「オレのやってることはナンダ?ただの劣化コピーぢゃないのか?」とゆー不安に苛まれるタイプなのぢゃなかろうか。時折。あるいは常に。もしかしたら、吐きそうになるほど。

 んで、最後に「女の子のファン」の話になり、、、

島本:いや。たまにいるよ。責任感の強い女の子がね。大抵私のファンの女の子って、責任感が強いというか、仕事に命かけてますという感じの女性が、「島本先生の作品、すばらしいです」っていってくれるんですね。

 ぶっちゃけ「生業」というのはキレイゴトでは済まない。どんなに憧れた仕事でも、たどり着いてみると「こんなハズぢゃなかった部分」はあるわけで。それでも。いつも悩んでるくせにマンガを描く事からだけは絶対逃げないってゆうか逃げられないってゆうかそれでこそ炎尾燃ってゆうか死ぬまでそーであってくれっていうかヤツはまだ登り始めたばかりだぜ。あの長い長いマンガ坂をよ(未完)ってゆーか。

 、、、『新・吼えろペン』最終回に対しては、そんなよーな印象を持った。ふははははとか笑ってたよーな気もすっけども。

 いいんぢゃないの?松本零士せんせーだってトミノカントクだって、なんかの背中を追いかけてたハズだし。オレらにゃ見えないだけで。少なくとも梶原一騎さんは尾上紅緑(?)とかなんとかいう戦前の挿絵読み物の名手に憧れてたそうだし。

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関連(?)

*1:マジ切ねぇ。人はここまでサクヒンを愛せるものなのかと思うのはオレがオタクだからか?。『カイロの紫のバラ』(1985/ウディ・アレン) より好きって時点でそうだよなw