毎日は、ヨミモノとしちゃ一番面白い。
上記によると、社内統制(ガバナンス)とか無きに等しい社風なのだそうで。だから一個一個の記事から、書いた人の個性が滲んでるのだなと思う。滲みすぎててしょうむない記事も(んでもってしょうむない記者も)多いが、おーいいねーという記事も同じくらいにはあるように思う。紙面全体としてはブレてるとかブレてないとか以前に、無い。軸が。
オレ的にはそのへんが面白い。「紙ブログの寄せ書き」だと思ってる。この先きのこってほしい一般紙ナンバーワンだったり、する。
もちろん、ヘンタイ記事問題は「日本のソフトパワーに対する組織的なサイバーテロ」だと思っているのだけど、その社風であるなら、アレが起きた理由には納得がいく。いや納得しちゃダメなんだけども、だいたいのメカニズムというか、空気は、なんとなく想像できる。
どういう再発防止策が良いのかは、「なかのひと」の問題なのでおいらごときが関知するところではないが*1、入り口で随分ながくコケっぱなしのように見えるのは気になる。
「ネットの世界でわれわれの考えをオープンにするというのは、どのようなことをするということなのか」と聞かれた。
これを、上の世代に、突き放す事なく、分かるまで説明できる人材はあまり多く無いように思う。呼吸するようにネットを使っている人にはまずムリだろう*2。
私は「方法はいくつもあるだろうが、とにかく肉声で、本音ベースできちんと一連の騒動を語ってほしい」と答えた。
もちろん佐々木さんとしては、一生懸命こたえたのだとおもうし、これが彼が語った事の全てだとも思わないが、仮に、これだけを述べた場合、聞く側は突き放されたような印象を持つのではなかろうか。へんなたとえだが、銭湯でかけ湯しないで怒られたガイジンに「気を使え」と言ってもあんまし意味ない。
毎日新聞の『低俗記事についての検証紙面』は、実はあれで精一杯一生懸命やった結果なのかもしれない。毎日の人たちは毎日の人たちで、結構苦悩しているのかもしれない。しかし残念ながら、充分ではないだろう。社内統制(ガバナンス)とか無きに等しい社風にしてはよくぞとは思ったものの、せめて、謝るんならビシッと謝りきらんとあかんね。と思った。
「ネット君臨派」またの名を「情報統制派」の「余計な情報は出すな、ネットの連中は黙殺しろ」を「人の噂も75日派」「アルマジロ派」と考えると、これはこれで一つの戦術ではある。が、それ一辺倒で木で鼻をくくったような応対こそが「燃料」になってしまう。「情報を一切出さない」という事実が、ブラックホールのように黒々と目立ってしまう事もある*3。問題は程度だ。
一方、対抗派閥の〜〜せっかくだから「情報皇道派」と呼ばせて頂くがw*4〜〜「社内の情報をすべて表に出して、謝罪してゼロから出直すべき」はあまりにもナイーブに過ぎる。いくらなんでもこりゃ出せねぇダロっつう部分はあるだろうし、出すにしたって言い方ひとつで印象はいくらでもブレる。問題は程度だ。
思うに。ここで迷ったからと言って「ネットに詳しい人」の意見を聞くのはマチガイなんぢゃないだろうか。ネットも新聞もフラットに「メディア」「コミュニケーション・ツールのひとつ」と見てる人に聞いたほうが良いように思う。
そういう人材は、たぶん広告業界にいるように思う。広告屋といっても「四媒体の窓口屋」の事ではなくて*5「消費者-企業間コミュニケーションのプロ」のほう。
例えば「社内の情報をすべて出す相手」は、佐藤雅彦さんとか糸井重里さんあたりにして、後はどう世間に伝えるか、知恵を借りると良いように思う。
たぶん高いけど。その金もだせなくなってからでは遅いわけで。