契約ベースで問題を解決するのは百年河清を待つに等しい。

きょう「デジタル・コンテンツ利用促進協議会」の設立総会が開かれ、中山信弘氏が会長に就任した。そのあいさつが、妙に専門的でおもしろかった。彼は「著作権法は強行法規じゃないのだから、法改正しなくても契約ベースで解決できる」という議論は「理論的には成り立つ」としながら、「ハリウッドのように脚本家の組合が脚本料をめぐって映画会社と団体交渉するようなシステムは日本にはないので、契約ベースで問題を解決するのは百年河清を待つに等しい」という。

 これが実演家等が強硬な理由と思う。取っ払いのギャラもらったら後はヒットしようが再放送しようが関係ない、という長年の蓄積が根底にあるのではないか。

たしかに伝統的なメディアについてはそうかもしれないが、デジタルメディアでは、ccライセンスのように電子的に契約のテンプレートをつくることもできる。

 それはニコニコモンズなどで育って行けば良い。他方、日本最大の映像著作利権はテレビ局なんで。そこが保持してるライブラリをどうすんねんてのが昨今の著作権問題のコアだと思う。

しかしパーティで小倉秀夫さんも言っていたが、現在の著作権法権利者に有利だというのは錯覚だ。あまりにも多くの権利者・隣接権者が許諾権をもっているため、結局anti-commonsになってコンテンツが動かない。イタリアのように許諾をゆるやかにしたほうがコンテンツが流通し、権利者にとってもユーザーにとってもwin-winになるだろう。

 映像に関する限り、この権利者はテレビ局を指して良いと思う。『あまりにも多くの権利者・隣接権者が許諾権をもっているため、結局anti-commonsになってコンテンツが動かない。』のは、テレビ局の調整能力が不十分だから、という言い方もできる。コブンたちは、「あのオヤブンはシブチンだ」と思っているだけなのではないか?

 別に堂々巡りのコトバ遊びがしたいわけぢゃない。「製作(著作権の一元化)」と「放送」を分離してしまえばまだマシになるように思うのだが。つまり、「著作利権のわけまえ配分」を電波免許や放送設備から独立した専門職にする事ができれば、現行著作権法がどうだろうが関係ねぇ。

 のぢゃないかと思うんだが。