情報メタボ

 情報は活かしてなんぼ。ただ知っているだけでは「駅の名前を全部言えるガキ」と変わらない。そんなものには価値がない。活かす途の無い情報は、ただの消費材に過ぎない。

 例えば自分の場合『子供の犯罪被害急増なんてのは嘘、昭和50年の5分の1以下!』みたようなのは、行きつけの喫茶店のおばちゃんとする世間話のネタ(娯楽)が関の山だ。

  • 「最近やな事件が増えたわねー」
  • 「いやそれがね?こーいう統計もあるらしいですよ!(略)」
  • 「あらそうなの。でもいやねー」
  • ですよねー

 てゆうかネタにできてねーわけだが(w)、ソレがヤナ事件である事にはかわりがない。先に相づちを打たねばダメではないかと思いつつ珈琲をいただく。ずずっ。

ネットはケータイからアクセスしてる人も含めると誰でも使えるようになったんだから,これを使わないで自ら進んで“情報弱者”になっている人たちが悪い。
〜〜 IT関連技術者 32歳(男)

 彼女を“情報弱者”と言えば言えるのだろうし、実際なぜかPCもケータイもオレが「機械のセンセイ」になっているのだけども(なんでだ)、彼女はオレの珈琲の師匠であるからにして、そんなコトバはオレのカラダの中に無い。店は忙しい。豆を選ったり炒ったり常連さんとだべったり。その気があったとしてもネットに貼り付いてニュースの裏とりを日課にする程ヒマぢゃない。

 「自分のおばあちゃんが喜んで使ってくれるような」。消費者向けの製品やサービスに関わるなら、ここを目指さないと嘘だろう。と常々思う。「IT関連技術」は人を選別するためにあるのでは無いし、そもそも人のほうに歩み寄れ、というのは、商売でも職業でもない。ただの驕りだ。

ただ,今は過渡期で,あと何年か十何年か経ったら,マスコミの報道をネットで調べて検証するというスタイルが一般化するんじゃないかな。今でもできることだけれど。

 考え難い。一般論として、自分の生業でも興味範囲でも専門分野でもない事にそんな時間を割くのは、ダメなヤツだ。「その範囲外」の分野では、テレビや新聞やネットに本質的な違いはない。多くの場合、人間は流れてくるものを受け取るだけだし、真偽を判断する術を持たないし、信じたいと思ったものを信じるに過ぎない。

 興味のある分野の情報を底なしに深堀りしてゆけるようになったのははなはだコーフンするが、活かす途の無い情報は、ただの消費材に過ぎない。マスコミをマスゴミと呼ぶのも単に「目新しい情報消費材」に過ぎない。すぐに飽きる。

 いずれ、従事者の努力に依り、マスコミの信頼性は揺れ戻る。旧に復するとは思えないし、それが紙媒体上で起きる事とも限らないが、生業なわけだし、そればっかりやってるワケだし、揺れ戻らなきゃ嘘だと思う。