■中山国交相の発言内容(抜粋)より《単一民族》

 外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。

 『事実上の単一民族』である事は確かだが、アイヌの人や沖縄の人や『朝鮮籍』の人が複雑な思いを持っている可能性は、常にアタマの隅に置いておかないと、いろいろとマズい。

 例えば『北海道旧土人保護法』という、ちょっとスゲェ名前の法律が「発展的に解消」されたのはたった10年前(1997年)の事だ。

 また特に『朝鮮籍』の人は、1947年5月2日(人間宣言より後、日本国憲法施行の前日)に天皇最後の勅令として公布された外国人登録令により「当分の間、これを外国人とみなす」とされたものだ(在日朝鮮人の「国籍」について | 泰然自若@ソウル)。

 ぶっちゃけ大韓民国北朝鮮民主主義人民共和国もまだ成立しておらず、受け皿が無い状態で「大日本帝国臣民」を「日本国国民」にしなかったのは、如何に余裕の無い時期のこととて無責任だろう。これでは五族共和も八紘一宇もオタメゴカシだったのかと言われても仕方がないのではないだろうか。いやオタメゴカシだったんだけど、そこはやせ我慢しなきゃイケナイとこだったんではないだろうか。

 その後の韓半島の情勢の変化や、戦前からの差別意識や、それに対する被差別意識などでいろいろな立場があり、ややこしいもんがあるが、ややこしいだけに「単一民族」という言い回しはデリケートなものだ。この一語を除いた全体の趣旨、まず「日本人」が心を開かなければなるまいというのは、はなはだ同感したい。

 心を開くてのもなかなかシンドイというか、「イタクナイ・イタクナイヨ?」程度ぢゃ済まねーんだけども。