ドラクエ寅さん説
気がつくと世界一になっていた。気がつくと研究され追い抜かれていた。なぜ世界一になれたのかわかってないし、ナニをどう研究されたのかもわかってない。一言でいうと「共通認識」が無い。故に現場の作り手さんや経営者さんや、オレのようなどぐされマニアどもがそれぞれの立場でバラバラな事を言い、対策がまとまらず動きが鈍い。または的を外れている。
唯一の共通キーは「在りし日の復権を!」というオモイくらいだろう*1。
邦画と似ている。
くされゲーマーの端くれとして思いつく事は三つ。
A)ひとつにはアカデミズムの不在を挙げたい。
実は日本の大学で最初に「映像学部」を設置したのは2007年の立命館大学だ。「学科」では芸術系の大学などに先行例があるし*2、専門学校はさらに早いのだが、日本のアカデミズムは「これまでの知の枠組みでは捉えきれないもの」に対する感度が鈍い。てゆうか見下す。むしろアカデミズム自体が日本に無い。
よのなか福田前首相のように自分を客観視できる人間ばかりぢゃない。制作の方法論にせよ産業分析論にせよ、「歴史に耐える知の体系」を、内輪だけで作り上げる事は難しい。
これがあると、現役の作り手さんや経営者さんが「GPS付き」に進化すると思ってます。
B)もうひとつには、過剰な職人ロマン主義を挙げたい。
産業として喰っていこうというのなら、娯楽工学(エンターテインメント・エンジニアリング)*3が必要だ。ロジェ・カイヨワはいいんだけどそっから先。ゲームに特化したヤツ。
ゲームの面白さとはナニカ?そこにはどんな要素があるのか?各要素をどのような配合比で組み合わせると、どういうゲームができるのか?それで売れるゲームが作れるなら苦労はないが、「過去の名作」からそうした「知の体系」を抽出すると、「次世代の作り手」が試行錯誤の手間を省ける。これらの作業に於いて、過剰な職人崇拝は百害あっても一理も無い。
C)最後に「売れるサクヒンが良いサクヒンの徹底」を挙げたい。
企画段階からマーケティング・リサーチを徹底し、その結果により「サクヒンを弄る」事も厭うべきでない。この点での国内最強は「アンケートハガキ付き週刊マンガ雑誌」だと思う。まず増刊号、評判よかったら本誌、アンケートで軌道修正を繰り返しつつ稼ぐ。みたいな。
ゲームの場合「ぼくたちアーティスト」みたいな勘違いさんは少ないと思われるが、マーケティング・リサーチの方法についてはカイゼンの余地があるだろう。てゆうか無い事なんてないんだけどもここは。
また結果的にゲームそのものが、オレのようなくされマニアから「あんなのゲームぢゃない」と言われるカタチになってゆく可能性もデカイわけだが、これもゲームの場合、大きな抵抗にはならないだろう*4。
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A)B)C)ともに、北米はかなりしっかりしている印象がある。自分たちの国で産まれた「映画という文化」をよってたかってバラバラに研究してきたニオイがする。この「行動の型」は、マンガにもアニメにもゲームにも向けられているだろう。
作り手さんたちの「金を出せ。話はそれからだ」ってキモチはわかるけど、経営者さんたちの「そのカネがねぇんだわ」もわかってしまう。長期的な視野で金を掛けてほしいとは俺も思うけど、資金繰り(キャッシュフローの健全性)の範囲を超えた視野を持つと、だいたいの会社は潰れるからだ^^;。「まず金を出せ。話はそれからだ」にワナビーズやくされマニアどもが同調すっと、邦画と同じ、ながいながいながい閉塞感に苦しむことになるんぢゃないだろうか。
あきないの基本は、短く持って、コツコツ当てる。もはや世界一でないなら世界一のカネがあるわけないんだからさー。そこは代替リソースで乗切る方向で。自分のキモチを一言で言えば「よってたかって智慧を出せ」。出して下さいお願いしますとゆーカンジ。
韓国映画の「シュリ」を覚えている人はあるだろうか。「みんなビンボが悪いんや〜」で、あれは作れないと思うんだが。
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と・は・い・え。
このまま、寅さん映画のやうにDQ/FFがナンバリングを重ねてくだけなのかと言うと、、、あんまそうは思ってない。下記1ビデオゲームをしたことがない人はまだたくさんいるし、下記2ゲームの定義だって、この先どう転ぶか知れたもんではないから。