田母神・前空幕長の論文公表は、統帥権干犯の色彩を帯びる。
■結論:
■理由:
- 自衛隊の最高指揮官は、選挙→国会を通じて選ばれた内閣総理大臣だからだ。極論すると「ボクの考えは政府見解とは異なるので、その命令は聞けません」という軍人さんは、あり得ない。内心がどうあれ、軍人たる者その疑いを招くような行為は、第一に慎むべき事と考える。
- この「モラル」に目をつむって内容の適否を論じる事は、日本国の「軍の統制」を損なう。
■対策:
- 当面、名目はどうあれ現役から排除すれば充分であり、
- 立場の左右を問わず、内容に関する議論を継続する事は有害と考える。参考人招致、政局や視聴率稼ぎの材料化など。また現在の政府見解の修正を望む者は、他に適切な機会を選ぶべきだろう。
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現行制度上、軍の統帥権は選挙権の行使者(citizen)に由来する。
- 国会議員は選挙で選ばれる。
- その国会議員が首相を信任する。
- その首相が内閣を組織し、政府を指揮監督する。
政府見解もその一環として出されている。軍政・軍令上の意見上申ならまだしも、現役軍人が政府見解に異を唱える事は、代議制民主主義を通じて示された選挙民の意思に手向かうに等しい。「しかし言論の自由が」と言う向きは、現役軍人のトップに「日本は中国の一省になるべきだ」と主張する自由を認められるか否かを想定して頂きたい。
もちろん現役軍人さんも軍人である前に国民であり、言論の自由や思想信条の自由を持つ事は当然だが、同時に軍の禄を食む以上は国家の軍事力に対する責任を預かっている。このため、少なくとも現役期間中は一定の制限があってしかるべきである。平素、自由に政府に異を唱える軍人さんが、有事に政府の命令を聞くかと言うと、期待し難い。
軍が軍たりえるのは、軍人さんが「軍人のモラル」を堅持している間だけだ。これを失った軍隊は最終的に「ボクタチ、武器持ってる。キミタチ、持ってない」で動く。「己を殺す」というツライ作業に殉じる事ができない者は、識見や能力以前に「適当な資質」を欠いている。
国士、軍を預けるに足らず。前空幕長の行為は、軍人として尊敬に値しない。政治を論じたくばよろしく軍籍を辞し、一市民となって後にすべきだろう。
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一方で、情緒的な「たおやめぶり」で軍人さんに重い職責に応じた敬意を払ってこなかったツケは大きい。
この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。
押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。
「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。
制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。
逆に言うと、国民やマスコミは、もっと制服組と正面から向き合うべきなのだ。自衛隊の裡に「何にも知らない文官が」との思いが鬱積しているなら、その内訳を知るべきなのだ。「文民統制」は気に入らない事柄を切り捨てる為のラベルではなく、不断のメンテナンスを必要とする。それが実現してこそ、国民と日本国政府は真に自衛隊から信頼され、尊敬される存在になるだろう。
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