バフェット氏いわく「どんな価格でもアメリカの新聞社は買えないね」:Garbagenews.com

バフェット氏自身幼い時に新聞配達をしていたエピソードを持っており、「社会の形成に寄与する機関」である新聞に対する愛着心は並々ならぬものがあった。

でも『たとえどんな価格であっても、アメリカの新聞社を買うつもりはない』のだそうで。ふーん。愛着あるなら買っとけばいいのに。今なら安そうだし。

ヘンな話だが、この「愛着心」というのは「私利私欲のひとつ」だ。金には代えられないが、「満足感」という情緒が得られる。投資家に「私利私欲」を抑え、冷静な判断を下させるものはナニカ?やっぱカネか?金に変換できねぇところがダメか?それともなにか別の使命感のようなものがあるのか?

投資の究極の目的は、貯蓄を有効に活用して社会を豊かにすること。人と文明への愛情がなければできない。
マーク・モビアス,1995頃

バフェットさんがどういう人かは知らないけど。専業投資家ともなれば、こうゆう事も考えるのだろう*1

おそらく「グローバルスタンダード」の芯の部分には、この手の「文化や民族がどうだろうが、世界中どこでも通用し得る普遍性の高い理念」がある。「強欲でカネに汚い」のが居ないとは思わんが、ホラ見ろ!金融なんて虚業だ!日本はやっぱりものつくり!みたいなテキストを見ると、日本の「ものつくり」はもうダメかもわからんね。と思う。「外資」「ハゲタカ」「売国」などのタグを付けるのは、自分でメインカメラを塞ぐようなものだ。

////

報道の使命、公共の福祉、特許権著作権、などなどなど、これら様々な抽象概念は、重要なものであり、無くて良い、というものではない。それは多くの人が認めるところではあるが、どのくらい重要か?となると個人差が激しい。

この「どのくらい重要か?」は「私利私欲の範疇」にある。従って、これらの問題を語る上で、「文化」「崇高」「リスペクト」「ただしい」「正当」「違法/合法」「汚い」「結局カネだろ」などの言葉を使う事は、、、、自分は避けたい。なるたけだけど。

モノツク利権、著作利権、などの抽象概念も、重要なものであり、無くて良い、というものではない。だが、どのくらい重要か?となると個人差が激しいだろう。これらは「現在の産業規模」で概ねの数値指標を探してくる事ができるが、そこから「将来性をどう見るか」は十人十色だ。

この「将来性をどう見るか?」も「私利私欲の範疇」にある。従って、これらの問題を語る上で、「文化」「崇高」「リスペクト」「ただしい」「正当」「違法/合法」「汚い」「結局カネだろ」などの言葉を使う事は、、、、自分は避けたい。なるたけだけど。

抽象概念は「莫迦には見えない服」であり、「信じさせたモン勝ち(洗脳戦)」でしかない。「カネに代えられない価値」に魂を惹かれると、「社会全体の中での適正な範囲」を見失うリスクがある。

*1:むしろ、ダイレクトにカネを扱う金融業者のほうが「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」を強く意識するのかも知れない。てゆうか、その筈だ。