「録画補償金の綱引き」雑感

「実力行使をするなら損害賠償請求訴訟を起こすことになる」(実演家著作隣接権センター)

すれば良いダニ。と思った。

  1. VHS訴訟の国内判例が必要だ。
    • 視聴者は放送を録画する権利があるか?
    • あるとすれば、認められる範囲はどの程度か?
    • そのぶんに上乗せ対価は必要ないのか?
    • 在日日本人が国外判例に縛られる理由は無いっちゃ無い。
  2. 本来はTV局が原告であるべきだ。
    • 「モノツク利権」はTV局の重要なスポンサー。これで話がややこしくなる(日本固有の事情)。
  3. 本来は出演者等は「おたくの局ダビ10?なら出演料10倍ね!」とやるべきだ。
    • 芸人商売(役者、音楽家、など)の基本は「一回見せたら(出演、音楽利用、など)いくらです」。
    • 「永代視聴料」なら、それなりに頂きますよ。←大勢に売れるなら単価は安くても可。

と、根源論じみた事をならべたててもグチョグチョになるだけだが、「私的録音録画補償金」は、そうしたグチョグチョをテゲテゲ*1のところで治める日本流解決策という意味合いもあったのではないか。
これでさらにややこしくなる。
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ところで「任意の物体を無劣化で10個コピーできる薬品」てのがあったら、松下やソニーは商売あがったりだろう。

現実には、特許訴訟の集中砲火を浴びると思う。「技術の発展」とか、「リスペクト」とか「ものつくり・ファースト」とか、いった事になると思う....んで消費者の利便性そっちのけとか言われると思う。
これはもともと「はなしあい」で埒の開く話でも、「正しい結論」の存在する話でもないだろう。とっとと損害賠償請求訴訟ヤッチマイナー。と思う。そのための裁判所なのだし。
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「芸人衆とオヤブン」について。
基本的に、サクヒンビジネスのありよう(産業としての基本構造)は、原生植物のようなもので、外国と違うと言っても仕方がないのではないかと思う。またそもそも、リクツだけで縛るのは、もともと無理があるのではないかとも思う。
なぜならば、「芸人の本性」は、以下の二点に集約されると考えるからだ。

  • マトモな奴はひとりもいねーぜ
  • よってたかってワケマエをあさる。

したがって、「集団で創る芸」を「金に換える」には「芸人衆をまとめあげるオヤブン」が必要になる。一見個人芸に見えるようなケースでも「タイバンだらけのロックイベント」などでは、各バンドの「とりぶんあらそい」がありがちだろう。
「オヤブン」の仕事は

  1. コワモテと甲斐性(対芸人衆)。
    • 「コワモテ」:「芸人衆」の不満を抑える*2
    • 「甲斐性」:「芸人衆」それぞれのとりぶんを決め、ワケマエを配る。
    • 「芸人を喰いものにしつつ、彼らの暮らし向きが立つように面倒を見る」。
  2. 「無いものを売り歩く資本主義のブタ」(対観客)。
    • シノギ」:「芸」に決まった価値は無いが、それではシノギがままならぬ。ヤマワケの「ヤマ」はデカイ程良い。
    • 莫迦には見えない服を売る」:香具師、詐話師、興行師。
    • 「ワタクシどもが取り扱うのはココロ、人間のココロなのです。ホーッホッホッホ!」

まとめると「ユメを創る連中にショーバイはできない。ユメを売るショーバイはカタギにはできない」。
「芸」に決まった価値が無く、個々の芸人の貢献度も算出し難いとなると、現実の「オヤブンとファミリー関係」のありよう(サクヒンビジネスの基底土壌、ないし「業界の慣習」)には、伝統的な人間関係、地生えの文化、行動様態、ややツヤーに言うと*3、美意識、、、といったモノが色濃く出る。筈だ。
仮にこのモデルが「正しい」とすれば、これをリクツや外国の事例だけで縛れば、無理が出るんぢゃないかと言う希ガス。外(例えばモノツク利権や私的録音録画利権)と「はなしあい」で解決がつくものでも、あるまい。
それでもトラブルの都度「出入りぢゃ。出入りぢゃ。」というワケにもいかんので、ある程度のワクは要るだろう。「著作利権(著作財産権)」はその一つだと思う。芸人衆に睨みを効かすにも、観客に睨みを効かすにも、使えるだろう。
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  • 現状の私的録音録画補償金には抵抗感がある。支持はしない。
  • しかし、フリーオもPT-1も事実上の野放し状態の中で「DRMが機能しているから補償金は必要ない」てのは、「キミは議論から外れてくれないか級」だと思う。
  • B-CASコピワンもダビ10もなくなるなら補償金くらい払うよ俺わ。使い道をなんにするかは「芸人衆とオヤブン」でやってくれ。

しかしその一方で、ゲームを無劣化コピーできる機械なんてあり得ないし*4、OSやアプリの複製は罪となり罰せられる。「日本の映像産業の持続可能な発展」を考えるなら

  • 広告無料放送の相対的減殺
  • 録画「文化」の相対的減殺*5

は必要な希ガス。デジタルだ無劣化だ以前に「価値ある芸は有料」が基本だと思っているので。

それでも。これまでのところ。「録画文化」の中でも。「日本の映像産業」は「テレビ」に集まる「企業広告費」で「保ってた」わけだが、

この「水源」は枯れる。「企業広告費」が「テレビ以外」に分散するからだ。広告主の立場を考えると、

  1. テレビは戦略爆撃機 ←B-52とか。
  2. フリペは地上攻撃機
  3. ネットは精密誘導弾 ←サダム・フセインさんをピンポイントで狙えるなら、B-52の予算は減る。

現在の広告無料放送は「フリーランチの終わり」とかいう時期を迎えているのではないかとも思う。録画文化も含めて。
てゆうか「日本の地デジ」に決済機能がついてんなら、なぜ複製課金で「焼き増し商売」をやらんのだ?。なぜそれでディレクターや出演者にレベニューシェア渡すようなシカケにせんのだ?。

*1:鹿児島弁で「たいがい」の意。

*2:リクツは重要だがリクツだけでは済まない。「マトモな奴はひとりもいねー」から。

*3:博多弁で「かっこつけて」の意。

*4:いや、あるけど、まぁ「マトモなショーバイ」ではない。

*5:文化と言うと何やら高尚なオモムキがあり本能的に平伏してしまいそうになるが、「歴史的経緯から成立した生活習慣病の一種」だと思う。この側面を見逃して「正論」に走ると、一部の禁煙教徒のようにケムタクなるだろう