実際「科学技術は役立たず」なのではないか?

以前、『なぜこれほど疑似科学信奉者が多いのか』というお題をヒネっていた時に、こういう事を思いついた。
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『なぜこれほど疑似科学信奉者が多いのか』

  • 1)娯楽として面白いから。
    • 「縁なき衆生」にとっては。自分のくらしの役に立つか立たないか、面白いか否か、快か不快か。
    • それ以外は問題で無い。
  • 2)「科学のチカラ」が小粒化したから。
    • 2-a) 天然痘の撲滅とか。人類、月に到達とか。
    • 2-b) それらに比べると、「秋刀魚の焦げ目でがんになる!」「いや大根おろしと食えば平気!」みたいのは、、、、ヒマだなと。    
  • ◇ ◇ ◇
  • もともと「縁なき衆生」にとっては、2-a) 級は、「奇蹟効果」があるだろう。
  • つまり、イエス様が手を触れたらいざりが歩いた!みたいな。
  • また、2-b) 級の論争は、「メダパニ効果」があるだろう。
  • つまり、中世教会の神学論争。みたいな。

ようするに。「縁なき衆生」にとっては。
「科学」は最初から「事実上の信仰(ヴァーチャル・レリジョン)」であり、疑似科学は「異端」であるに過ぎない。科学 VS 疑似科学の論争は、信者獲得競争であるに過ぎない。
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高校生の半数が「科学技術は役に立っていない」と認識し、全員が「科学技術が環境を壊している」と考えている事実に驚きます。それは現在の教育とマスコミ の成果であると言えるでしょう。科学技術と環境とを対比させる見識もどうかと思いますが、少なくともこの記者はその「成果」をかなり肯定的に受けとってい るようです。

記者やマスコミが悪い。というのは、そうかもしれないが、実際問題、20世紀前半に比べれば、「科学のチカラ」は小粒化している。相対的に、「縁なき衆生」がマイナス面に目を向けるのは自然な事ではないか?ある論調が人口に膾炙するのは、そこに「潜在需要」があるからではないか?はっきり云うと、そうした疑問を持つ事を「科学的手態度」と呼ぶのではないか?

高校生達は現在の文明は先人達の努力によって築かれたものという認識が希薄で、それは「あってあたりまえのもの」と思っているかのように感じられます。

それは、そういうものだろう。それを変えたいなら、むしろ「科学は役立つものだという認識を所与のものと看做す姿勢」から疑う必要があるのではないか。

若年者に限らず、ヒトは努力抜きで与えられたものについて、深く考えたりしない。「あたりまえの権利」と看做す。「なぜもっとくれないのだ?」と訝しむ。