少子高齢化のハンタイは多産短命化だと思った。今。

明示的であれオタメゴカシ的であれ、短命化は誰にも標榜できない。あらゆる「老人から奪え策」は、テメェの老後に降り掛かるからだ(十中八九、より激化した形で)。人道の問題以前に、アタマが悪過ぎる。したがって、「産めよ殖やせよ国のため」and / or「移民推進」が力を増すだろう。

このうち前者について。

1950と2009現在では「くらしの裕福感」は大幅に上がったと思われるが、それは「家計に占める子育て負担」すなわち食費から教育費までのエンジェル係数が大幅に下がり、そのぶん可処分所得が増えたため、という気もする。1950のアラサーと2010のアラサーでは、面倒見てるアタマ数が違う。

1950 2010
国立社会保障・人口問題研究所の実績値(2005年まで) 同推計値(2010年〜2055年)。
ちなみに1950のアラサー(青枠)は→ →2010のアラコメ(米寿=88)

平均的な子供数が一人減れば、そのぶん食費も学費も浮く。浮いた可処分所得を、大学全入に回してもなお余裕が出たりなんかして。一人アタマの小遣いも随分増えている筈だ。コレ実際の金額の多寡、だけでなくて、生涯家計に占める割合とか、心理的な負担感とか、特に「ふつう」と比べたときの貧富の感覚とかが絡む。

確かに日本は、諸外国に比べて国の教育費や子育て支援に不足があるのは事実だが、口いっこ増えるぶんの掛かりを国が全部みれるワケでは無い。口いっこ増えるぶんの負担は確実に増える*1

で、あるならば、「産めよ殖やせよ国のため派」は、教育費や子育て支援の充実と並行して、「平成の享保の改革」に出ざるを得ないのではないか。質素倹約を旨とせよ。みたいな。

  • 1)つまり、半世紀あまりかけて獲得してきた「生活レベル」を、落とす。
    • すくなくとも、そのうちの「少子化により得られたぶん」は、子育てに回しなさいね、という宣伝。
  • 2)並行して、「いやぁ、家族ってほんっとーにいいもんですね!」という、宣伝。

遠からず「産めよ殖やせよ国のため派」の中から、こうした動きが出ると思う。善し悪しは知らない。
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「浪費」について。
変な話だが、例えば欧米では「浪費」は聖書の7大罪の一つだ。特に開拓者の子孫(米国)にとって、Save Money!は神聖不可侵の正義だし、大概の国では携帯は「耐久消費材」。2年やそこらで買い替えるようなものではない。ネトブ一つ買うにせよ、「これは浪費ではないか?」「本当に私の人生にとって必要なものか?」という脳内ビルトイン・スタビライザーが常に効いているものらしい。
米国市場は価格弾力性が高い、とか言ったりするのだけど、要するに「コストパフォーマンスに厳しい」。
個人差はあるだろうし、日本などより格差もデカイし、ゲンミツには「浪費を戒める歯止め」がどこから来ているのかはよくわからないが、オレには欧米の「中流」の暮らしぶりは、ずいぶんとつつましいものに見える*2
「人々を取り巻く広告メディアが、日夜消費を推奨する」のはどこの国でも同じだが、日本では「浪費を戒める歯止め」が弱いのかもしれない。
これを、「本当に私の人生にとって必要なものか?」VS「だってみんな持ってるし、このくらい」のバトルだとすると、米国は確実に前者が強い。
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こどもの小遣いについて。

三人兄弟が二人になるだけで、一人アタマのとりぶんは1.5倍になり得る。家計負担はプラマイゼロ。まんがやアニメやゲームの興隆が、これ抜きであり得たかというとちと悩む。

  • 少子化傾向が変わらないなら、一人アタマのとりぶん水準が不変でも総数が減ってゆく。いくら両親祖父母の6ポケットが集中するといっても、年金という水源は減殺してゆく。格差が進行するなら、両親の可処分所得という水源も減殺してゆく。
  • 多産化反転で二人兄弟が三人になるなら、一人アタマのとりぶんは0.6倍に減り得る。

どちらのパターンでも、小遣い頼みの商売は、より高齢者相手にシフトし、同時に、海外市場を開拓するしかないわけだ。実はこれ、小遣い頼み商売に限らないと思う。家とか。「親の援助」が珍しく無い買い物業界にとっては、かなり効くはずだ。いつごろかは知らんけど。

*1:プラス、数値化しにくい種々のテマヒマ。子育ての悩み類

*2:貧しい貧しく無いで言うなら、日本の一人アタマGDPはG7中最低だ