アフター・DRM2
もはやDRMの有無など問題ではない。次に来るのは、かつてないレベルの管理社会だ。
たぶん、著作権という、「莫迦には見えない服の価値を保護する仕掛け」をめぐって、かつてないレベルの事件や、論争が起きるだろう。
の続き。
具体的にナニがどうなるのかを予測するのは難しいが、我々が買うのはモノでもファイルでもなく「永代視聴権」みたいなものになってゆく可能性があると思う。みたいな。
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09Q3現在、多くの人はユーザーライブラリをローカルに持っているが、AmazonやAppleは、ここにオンラインから管理の手を伸ばしつつある*1。動機の如何はどうでも良い。当不当もどうでも良い。能力の存在がポイントだ。
超長期的には、ユーザーライブラリはクラウドに移行し、我々は「入場券(アクセス権)」を買うようになる可能性がある。
- 世代分類:永代視聴権(相続可)、一代視聴権(相続不可)、三代視聴権(限定相続)、など。
- 時間分類:死ぬまで有効、6ヶ月有効、1日限り、
- 回数分類:100回再生券、50、10、、、
- 販売単位:バラ売り、抱き売り、、、、
ここに到達するプロセスでは、ユーザーライブラリを制する者がすべてを制す。
十年先か二十年先か、それとも百年後かは知らないが、Appleは、これら覗き窓群がアクセスするユーザーライブラリをmobile meで預かり始めるだろう。その時には、Apple IDの埋め込まれていないファイル、すなわちiTSを経由していないファイルは著作権の問題を避けるため預かれない、と小さな声で言うだろう。「ソレをやった時のユーザーの反撥を無視できる状況」は、「ほとんどのユーザーの、ユーザライブラリに占める非ITS経由ファイルの割合が、失っても惜しく無い数に達した時」に成立する*2。したがって時期の予測は困難だ。
んが、猊下は確実にそこを目指している。あのヒトは軸がブレてない。
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基本的には、こうしたベクトルの発生は不可避と考える。芸事商売の基本は「ムシロで覆って目隠しし、一回幾らで木戸銭を取れ」だからだ。「いつ、どこで、だれに、どのように、見せるか」は興行師が管理する。これはジャンルや、メディアや、著作権以前の話だ。
アフター・マス・プロダクションの世界で、ビフォー・イソターネットの習わしを身につけた我々*3にとっては違和感ギンギンだが、その感性じたい、15世紀の印刷機の発明を受けて、コピーライトを工夫した「サクヒン・ビジネスマン」や、20世紀初頭のラジオやレコードの発明を受けて、現在の音楽産業の土台を工夫した「サクヒン・ビジネスマン」、およびその後継者達*4の主導で形づくられて来たものだ。
これらのイノベーションは、「芸の出前」を可能にしたが、「ムシロの出前」や「木戸の出前」は可能にしなかった。09Q3現在、それらは可能になりつつある。
「サクヒン・ビジネスマン」は、アフター・ミドル・コミュニケーションの世界で、アフター・イソターネットの習わしを作り、定着させようとするだろう。ひらたく言うと、「ムシロの出前」と「木戸の出前」を、地上に存在する全ての芸を覆い尽くせるくらいに、拡げようとするだろう(DRMなどその試作一号に過ぎない。てゆうかあんなものガンタンクだガンタンク)。
必ずしも愉快ではないが、それはそれで自然な事だ。受け手の基本は「タダで見たい、もっと見たい、いいぢゃないか減るもんぢゃなし」だからだ。厄介な方にアタマを振ると「そもそも金を払ったからって、おれは他人の芸を『所有』できるのか?」という疑問もある。
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しかしながら。
1)独占は腐敗する。圧倒的独占は圧倒的に腐敗する。この点では、「全てのデジタルコンテンツ*5の三国志」が望ましいように思う。プレステ2とドリームキャストとゲームキューブみたいなアレ。
2)また「クラウドへのアクセス権」という販売方式が主流になると、「文化の発展」そのための「文化の継承」という点で、DRM以上の巨視的な問題が発生し得る。視聴権の相続性だ。名作や傑作というのは、「わたしが好きだったもの」の積み重ねなので、これはちとマズい。
わたしの死後、わたしのライブラリが電子の海に消えてしまうなら、誰も「わたしが好きだったもの」を知る事ができない。
「三国志状態」が加われば、この問題はさらに深刻化する。文化審議会著作権分科会基本問題小委員会の議論が、実りあるものになる事を期待しているのは、この為だ。少なくとも事務局は、目先の利害を離れて『著作権っていったいなんですか?』をやりたいように見えるのだが、、、。