同意と違和感

  1. 2009年08月19日:メディアのメタボ症候群と自民党の罪 | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
  2. 2009年09月28日:政権交代でも思考停止の日本メディア | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

日本のニュースを見ていると、これはまずい水割りかと思うことがある。水が多すぎて、肝心のアルコール、つまり「意見」が薄まっているからだ。
(1番)

特に欧米で顕著だと思うのだけど、「自己主張しない、自分の意見を言わない、あるいは持っていない」のは、尊敬されない。むしろ軽蔑される。極端に言うと、「相手とするに足りない」とか、「あんたそれでも人間か」的な気風がある。ような気がする(中国も相当似てる希ガス。韓国は、それほどでもない)。
09Q3現在の日本の場合、自己主張はあんまし美徳ではない。「謙譲の美徳」とか、「和を以て貴しと為す」とか、だいたいそのへんが「徳」の代表選手。みたいな。Virtue?
これは「日本のマスコミの構造問題」や「記者クラブの閉鎖性」とは、わけて考えたほうが良いかもしんない。いや完全分離なんかできないけど、下部構造と上部構造とか、土壌と作物、みたいな。どこでどー分けりゃいいのかわかんないけど。
もしも欧米流の「ジャーナリズムの定義」が「わしはこー思う!」の色彩が強いのなら、日本で欧米と全く同じ「ジャーナリズムの定義」が通用する事は難しいかもしんない。
ひいては「この国で二大政党制〜いわゆる「ふつうの民主主義」〜が成立すんのか?」という疑問も残る。

日本のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」

そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあんな質問に答えましたね。あんなものはジャーナリズムじゃない。日本の記者はただ騒いでいるだけ。
(2番)

ん〜、たぶんソレ、和風自己主張プロセスの一環。『どう思いますか』で採れた中から、気に入ったの選んで、「みんなこう言ってる!」とかやる。
まあ、鼻の頭にシワ寄せたくなるのは、わからなくもない。「ジャーナリストの責任」もボケますわな。
そういう集団から

悲しいことに、日本人記者から排他的な記者クラブ制度の廃止を求める声が上がることはめったにない。日本人記者と外国人記者は、残念ながら仲が良くない。国内のジャーナリストが海外のジャーナリストを締め出す国など日本だけだ。
(2番)

てな扱いを受けてりゃ、軽蔑の念も涌きますわな「あんたらそれでジャーナリスト言えるんか」と。

独自の見解をもつ一握りのジャーナリストをのぞく主流メディアを、私はムダ話党と呼んでいる。頭を使わずただ社会の動きを記録する監視カメラのようなものだ。
(2番)

「他人と違う独自の見解」を持ってなきゃ「あんたそれでも人間か」的な気風がある。ような気がする。
////
日本で欧米と全く同じ「ジャーナリズム」が成立する事は困難かもしんない。しかしそれでも。

  1. まず公的機関の記者会見を、
  2. 記者クラブ非加盟のジャーナリストにも参加できるようにして、
  3. 彼らにも、平等に質問する権利を与える。

それでどうなるかを自分は見てみたい。だもんで。