リベラルとか社民主義とかメダパニ。

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左にいくほど「自由重視・自己責任貫徹系」。右にいくほど「みんなが饅頭を持つまで饅頭喰うな系」てことだろうか。
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いずれにせよ日本語で「リベラル」とあったら、要警戒な気はする。たぶん米人の云う「リベラル」ってこうゆう事だから
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20世紀初頭に米国で興った「大量生産革命」は、「モノの生産消費者」も生産した。
ヘンリー・フォードは、安価な製品で市場を満たし、同時に労働者に破格の賃金を出す事で、「消費者」も生産した。このことの影響は多方面に及び、「労働の成果を娯楽に回すゆとり」を持つ階級、すなわち「消費者」ないしは「中流層」が誕生した。
しかしながら、彼らの労働環境は、チャップリンが『モダン・タイムス(1936)』で批判したように、単調で、過酷なものだった。
自由主義の原則から言えば、経営者は解雇の自由を持ち、労働条件を定める自由を持つが(ヤならヤメれば系?)、ナニゴトも程度による。便所休憩が貰えないとか、サボり監視の為に便所に壁がないとか、労働争議に私設警備隊の棍棒とかは、いくらなんでもナニである。黎明期の全米自動車労組が求めたのは、こうしたレベルの労働条件カイゼンだった(マジで)。
数は労働者の方が多い。これは票になる。民主党(米)は、ここに目をつけた。
労働者の権利保護、失業者対策など、09Q4現在の日本では「社民主義」とか「友愛精神」とでも言うべき政策を掲げたかれらは、しかし自らの政策を「社民主義」と呼ぶ事はなかった。自由と自己責任は「合衆国の国体」にも等しいからだ。
彼らは自らの政策を、たんに「リベラル」と呼んだ。分類に困る人々は「ニューディール・リベラル」と呼び、政敵達はこれを「アカ」と呼んだが、民主支持層もこれを「リベラル」と呼んだ。
格差社会中流社会では、後者の方が税収が多い。広く薄く税金を獲れるからだ。また経済的にも発展の余地が多い。広く薄く商売ができるからだ。また、前世紀前半の米国の場合、「成長が先、再配分は後」になっている。したがって再配分の原資は比較的潤沢であり、また製造業の見通しも明るかった。
以後ながらく、「GMにとって良い事は国家にとって良い事」であり、「リベラル」は米国の自由と繁栄の象徴だった。D.ハルバースタムさん(1934〜2007)は「"リベラル"を批判的な意味で使う大統領候補」を、80年代まで見た事が無かったという。
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つまり起点をどこに取るかで「自由主義リベラリズム)」ひとつとっても意味合いが違って来るのだろう。
世間様の空気が「人間は自由であり、自己責任が原則!」であれば、社民主義的な政策が必要な局面でも、そう呼ぶのは政治的に不利だ。逆に世間様の空気が「自由と言っても他人様の迷惑も考えなきゃね。そうでなきゃただの我侭!」であれば、そもそも「自由主義リベラリズム)」というものは、生えてこない。

小泉さんは、ちょっと左に振ろうとして、いまその反動が来ているということなのだろうか。いや右転は安倍さんの段階で既に始まってたわけだから、もっと前からか。