ミーム・セントリック・ツイッター

ミーム・セントリックとは


情報、アイデア、サクヒン、著作物、、、なんと呼んでも良いが、その帰属については大別して2つの考え方があるが、個人に帰属する派をヒューマン・セントリック、情報それ自身に帰属する派をミーム・セントリック、とする。図では左をミーム・セントリック、右をヒューマン・セントリック、としている。左はネット固有というものではなく、右が従来型というものでも、ない。どちらの考え方も元々存在する。
「適切な配合比」は、諸々の条件によって常に変化する。

MLや掲示


MLや掲示板は、フローであり、ストックである。
特定のテーマが維持され、適度なデノイズが成されている場合、そのまま有益な情報のストック足り得る。ただし、デノイズフィルタ(自治厨)に排除される「ノイズ」も、「スレチではあるがひとつのミーム」である。産まれる場所は間違いだったかもしれないが、そのスレッドの流れがなければ産まれなかった筈のイキモノである。しかしながら。スレチである以上は、その場所では発展を期し難い。それが気に入った向きにはモッタイナイ。

ブログ


ブログは、ブログ主の自由度が高い。
「スレチなミーム」も好きなだけ栽培できる。「それがお好きな方」だけ集まる事も期待できる。しかしながら、リーダー・ライター間の非対称性が著しく高く、またブログ主の自由度が高いという事は、ミームの進化方向に強いバイアスが掛かるという事でもある。モッタイナイ。

ツイッター


ヘヴィユーザーの中から自然発生した「RT」は、コピペである。ある脳内文脈で発生したミームは、幾多の脳内文脈に「接ぎ木」され、そこで独自の進化を遂げてゆく。個々のミームとその発展過程は、ねっとのうみでうまれたせいめいたいであるw。
もうちょっとひらたくすると、どこぞで拾った犬を数日エサやって自然に帰す、みてぇな?

???

どうも「オレの思いつきはオレのもの」というよりは、情報それ自身に主体性とか「自由」とか、それっぽいモンを持たせると、夜が明けたり 鵺鳥が鳴いたりしねぇか?とゆうバイアスが、自分の中に「居る」らしい。鳴いてナニになるとゆう気もするが、、、情報アニミズムというか、そんな嗜好。