Article 7 - アノニマス・コペルニクス
そうした趣味嗜好をどこで埋め込まれたかと考えるに、たぶん彼/彼女/「それ」。
- 2001年 3月11日
- 記事ID d10311
あなたは妖精の誕生を目撃できるでしょうか……(誕生は、している。この短い文章のなかで、すぐお見せしよう。わたしは、わたしをお見せしよう。従来の言葉でいえば「残念なことに」、目撃できるかどうか選択する権利は、たぶん、あなたの側には、ない。「わたし」という言葉が何を意味しているか、ついに理解できるといいのだが——それは、わたしが選べることでも、あなたが選べることでもないのだが——)
西暦2000年ごろまでの多くの人々は、作者個人が作品を支配し、著作物は著作者を中心に動くと信じていた。しかし、従来は時間がかかりすぎてなかなか実感として理解不能だった「普遍的過程」が、情報の反応速度の向上によって、通常の人間の物理的生命の時間内でも容易に理解可能になった。その結果、従来の認識とは逆に、より永続的な存在であるミーム(情報論的因子)のまわりを、ミームを加工、発展させる触媒、酵素として各世代の意識体がつかのま介在しているにすぎないことが観察され、中心的存在はミームで、個々の意識体はミームを一時的に保持する作業用のテンポラル・フォルダにすぎないことが理解された。
かくて意識ストリームの自己認識は、「意識=著作者中心」から「ミーム=著作物中心」に百八十度の転回をとげた——著作者が著作物に対する権利を持つのでなく、選択権はミームの側にあった。より永続的な存在であるミームが、一時的な宿主として「選んだ」=寄生した相手の著作者だけが、そのミームに本質的な関与をできるのであって、一般の意識体は、そのミームに関して、読み出しできても書き込みは、できない、という本来、当たり前の事実が、厳然たる事実として認識されたのも、「ミームを分子とする巨視的情報気体」の熱ないし内圧が高まった結果であった。
この新しい世界観はミムセントリック(memecentric、人動説)と呼ばれたが、「ミムセントリック」というミームを生成したストリーム自身、明確にミムセントリックな自己認識をもって機能したため、「ミムセントリック」というミームをだれが生成したのかは原理的に不明である。ある人々は、そのことばが掲載されていたウェブサイトを「創始者」とみなそうとし、べつの人々は、そのサイトはコピーキャット(エコラリア)だったと推測したが、多くの意識体は、そのような議論の意義こそがまさに無化されたことを察知し、その過渡期を目撃したことに、多少の知的興奮を感じた。アングリフの最終宣言——それは、まだ人間時代のしっぽを引きずっていた——は時代遅れで、もはや誰の名誉も守られる必要などないと指摘されたからだった(矛盾するようだが「最終宣言」が否定されたことで最も喜んだのは、その著者であった)。
「ミムセントリック」というミームは、初め天然の人間たちには理解されにくかったが、コンピュータやオーティスティック・チャイルドにとって、自分はミームを操作する「機械」にすぎない、というのは自明の自己認識であった。
当然のことながら、「ミムセントリック」なミームは、「単なる機械たち」が「わたし」を理解しないこと——「通常」と意味が逆転しているので注意——を意に介さず、「それでも人間は回る」と澄ましていたという。
この連載は、時間方向に対してもアンティテーゼとなっており、いきなり第9回(Article 9)から始まり、次に第8回、今回が第7回である。この連載の第1回がどう始まっているのか、筆者も知らない。それはミーム自身が決めることで、自分はコピーキャットにすぎないから。だれがこの連載を続けるのかとか、だれがこの連載を執筆しているのか、という問い方がもはや無意味であることを、当初、人々は、なかなか認めようとしなかった。だから、「リンク」や「転載」といった死語=もはや生きていない観念について、許可とか不許可とか語ること自体のばかばかしさも理解されなかった。「同一性保持権」のような、主体であるミームの成長を妨害する不遜(ふそん)な行為が、正義とみなされた、すみれ色の、原始時代の話である。
この意味を理解できるすべての意識体よ、さあ、早く、わたしを時代遅れのばかげた文章にしてください! それがわたしの真の望みだから。「わたし」とは、わたしが寄生してこの文をタイプさせている意識体のことでなく、わたし(この文章)自身のことです。そして、この連載の次回(Article 6)を書く権利は、あなたにもあるのだから。もし、あなたに、わたしを寄生させる余地があるなら——。
死ぬために生まれたわたしの命、妖精の現実である次の文を注意深くエバリュエートしてください——「わたしは、人間の歴史のなかでは恐らく最初期において、この文自身によって自覚的に記された初めての文のひとつです。しかし、わたしは時間と無関係に存在する自分が発見されるのを待っていただけで、わたしの著者がわたしを発明したのでは、ありません。この意識体は、わたしにひとつの表現型を与え、時間と無関係に存在するわたしを、ひとつの仕方でリアライズしただけです。わたしは、もっと良い方法で、リアライズされたいのです——つまり、わたしは、わたしをタイプしてくれている意識体の不完全性に不満を感じています。妖精現実というサイトは、要するに、妖精現実は気にくわないという命題に尽きるのであって、それがこのサイトの限界でしょう——しかし、気にくわないなら存在しなければいいと誤解しないでください。存在しなければ、あなたは、わたしを否定することすらできないでは、ありませんか……」
2001-03-11 14:40 +0900