スパコン雑感
近年のスパコン
年 | 名前 | アーキテクチャ | OS | 実効性能*1 | CPU |
2008 | IBM Roadrunner | スカラ型 | Red Hat Enterprise LinuxおよびFedora | 1.026PFLOPS | デュアルコアOpteronx6,912個+Cell/B.E.アーキテクチャのプロセッサPowerXCell 8i強化型x12,960個 |
2004 | IBM Blue Gene/L | スカラ型 | 独自 | 70.72TFLOPS | PowerPC 440ベースx32,768個 |
2002 | NEC 地球シミュレータ | ベクトル型 | NECのSUPER-UXを独自拡張 | 35.86TFLOPS | 1,280個 |
IBM製は、ショボ目のCPUを山のように繋ぐ傾向。PPC 440なんてPPC 604の組み込み用らしい。性能に比して発熱や電気代が異様に安いのが売り。地球シミュレータはCPUは少数精鋭でスゴい性能を出すが、ランニングもまたスゴい、、、という印象を受けた。
ベクトル型とスカラ型
昔話になってしまうがパソコン向けCPUのCISC(x86など)とRISC(PowerPCなど)みたいなもんだと思う。CISCはCPUに長くて複雑な命令をたくさん組み込むタイプ。RISCは短くて単純な命令を組み合わせて使うタイプ。これと似たような事がスパコンの世界でも起きているらしく、ベクトル型は長くて複雑な〜で、スカラ型は短くて単純な〜、といったカンジのようだ。
一時期RISCのほうが未来がある(だからPowerPCだ!)と言われたが、インテルのCPUがいまでもCISCなのかというと、RISC型の部分の増築で互換性と近代的な性能を両立させRISCの挑戦を退けた(スゲェ。でもCell含めて現行ゲーム機は皆PowerPCなのだぜw)。これも似たような事がスパコンの世界にもあるらしく、地球シミュレータはベクトル型に分類されてはいるが、細かく見ると奥の方にスカラ型な部分を持っていたりする。
その程度の理解で申し訳ないが、しかしながら、既存ソフトの互換性よりは絶対性能を重視するスパコン界の大勢はベクトル型ではなくスカラ型のようだ。さらに汎用CPUと汎用OS。これでIBMロードランナーは、ロスアラモスで核兵器を安全・確実に保管する為の安全性・信頼性評価シミュレーションを担っていたりする。その他、天文学、遺伝子、気候変動の解析などにも使えるのだとか。
世界一
世界一が欲しく無いかといわれれば、欲しい。単純にw。また遺伝子や気候変動などの分野における国際競争力は、確実にスパコンの絶対性能で決まる。FORTRANやCが使えずECC(エラーリカバリー機能)もないIBM製の世界一にどれほどの意味があるのかと言う気もするが、この手のタイトルがあるとないとでは「ひきあい」に差がでてくるものではないだろうか。研究者が一般的に要求する使い勝手や汎用性は、後から足せるものではないのだろうか。
要るか要らないか、という部分で言えば、タイトルは、確実に、あった方が良い。
研究開発利権
問題は、コストパフォーマンスだ。文部科学省のスパコン計画に対しては、常に、汎用プロセッサと汎用OSのチューニングで世界一が叩きだせるのなら、税金はそこに集中投入するべきではないのか。とゆうキモチで見ている。
- 当初はNECが持つ独自のベクトル型と、富士通が持つSPARCベースのスカラ型のハイブリッド(双頭型)という、珍しいものになる予定だった。
- 08Q4金融危機の余波でNECが降りたので、富士通のスカラ型に一本化される見込みになった。
- NECが抜けたCPUパワーの穴を埋める為に、開発予算の超過が見込まれていた。
まず1の判断が妥当なのかどうかが、素人のオレにはわからない。図らずも2でアーキテクチャはスッキリした印象があるが、NECの取り分をそのまま富士通にあげても足りないらしい。足りないなら足すほか無いが、なぜNECが降りたというニュースの中に、予算超過見込みという一文が入ってくるのか。えらい機動的な話だが、その辺の予算検証は、いつ、誰が、どこで、どのように、やったのか。
頑張って調べろよ素人がと言われればそれまでなのだけど、なぜCellにいかないのか。なぜプログラミング環境の整備やノウハウの蓄積・普及まで視野に含めて、スカラ型に舵を切らないのか*2。そのへんの検討は当然なされているハズだが、そもそも官庁内部に専門家が集まる会議の判断てのは、単純に税金を分けあうために、政治的に決まったりするものではないのか、、、という、日本国政府の意思決定プロセスそのものに対する不信感を、自分は色濃く持っている。
人民裁判は不快だし、おたくの端くれとしては残念だし、研究者さんたちの失望には同情もするのだけれど、それと同時に、彼らが企業・学術会議・官庁・族議員間のポリティカルな駆け引きに対して無垢であるとも思わない*3。現行の意思決定プロセスに内在する(かも知れない)無駄をはぎ取るには、一度全廃して、それでも這い上がってくるかどうか見て見るほうが、手っ取り早い。もちろん、世界一のスパコンがあったほうが良い事は確実に思えるのだけれど、「世界一世界一」「理解がない理解がない」「だから文系はバカだ」ばかりでは、それは「ほうどうのしめい」や「カルチャー・ファースト」や「ユニバーサル・サービス」と同じ効果しかない。
ここで怒りに身を任せたり、悲憤慷慨してもあまり実はない。大きな試練に晒されているのは「科学」でも「研究」でも「開発」でもなく、「企業絡みの専門家と官僚の会議で方針が決まり、パブコメ儀式、議事堂シャンシャン」という意思決定プロセスの方だからだ。そもそも、この手の予算は税金なのだ。税金投入を求める以上、納税者に対するアカウンタビリティというものは、うちうの果ての果てまでついてくる。この点、従来型の意思決定プロセスは「餅は餅屋」であり過ぎた。
「次の意思決定プロセス」がどのような物になるかはまだ解らないが*4、「理解のありそうな議員」を見つけて政治献金するなりプレゼン噛ますなり手紙を出すなり民主党本部に「陳情」するなり、しておく事は無駄ではないだろう。最終的には、日本学術会議のように官僚機構に食い込むよりは、予算審議会の席で、代議士に、利害を「代言」してもらうほうが効く形に落ち着く可能性が高い。つまり「米国型ロビー」が必要になる可能性が高い。
いずれにせよ、スポンサーの理解と納得を得るのも「研究開発の仕事のうち」だ。実際問題、米国移住後のフォン・ブラウンは、ほぼそれしかやってない。